延命十句観音経霊験記の内容と実践方法について

 

延命十句観音経霊験記の内容については観音信仰の功徳を説いた著書
「 八重葎(やえむぐら)」を母体としたものでして
霊験記は一個人に送った手紙が後年に「本」になったものです。

 

この書は、観世音菩薩の視えざる働きが、
観音菩薩を心底信じる人々の危機的状況に際して
延命十句のお経を媒体として直接介入され

 

観音菩薩を信じる方に、菩薩ご自身が直接啓示を下された
「 記録集 」という位置づけで観ることもできます。

 

 

 

その内容をざっと紹介するなら

 

 

( 恐らく白隠禅師は、全国を旅する中で、名家とされる家の没落を現実に多く目にしてきたからというのもあるんだと思いますし、
白隠禅師が手紙を送った先の大名も謙虚で、とても徳が高く偉い方だったから
禅師の筆の勢いが増したことが十二分に想定できますが・・ )

 

 

ある九州の有力大名に宛てた手紙の冒頭で送り先である大名から、
以前にその大名の屋敷に赴いた際に、懇ろにもてなしてくれたことのお礼や
屋敷の壮麗さ、時候の挨拶的な前置き等が終わると

 

 

4、5ページ目からいきなり

 

 

このお経(「延命十句観音経」 )は古代中国由来の偽経と外野で言う方もいるけども
現実面での霊験が他を圧倒している・・

 

このお経は伝承を俯瞰すると観音菩薩から直受され啓示されたもので

 

このお経が呼び水となって観音菩薩を信じる方々が
リアル世界で危機に直面した際に
大きな威徳を発揮せしめる霊験あらたかなお経だから

 

丹田を耕し腹視をするのと併せて実践すべき・・

 

 

という断言と確信の籠った筆致になってます。

 

 

 

 

禅師は、このお経を20枚も書いて

 

 

 

この長い手紙に添えて某大名に実践することを促してるんです。

 

 

 

もちろん外道に走らないように釘もさしておられて

 

 

長い手紙の文末には

 

「 正眼( しょうがん )に見来れば、唯是世間 

 

住相有為夢幻( じゅうそうういむげん)空華の談論、取るに足らず」

 

「茲に一段眞正最妙最玄最も第一なる底の大霊験有り」

 

 

 

として「 これまで話して来たことは見性体験を得て
自己の本然の心が仏性に他ならないということを
深いところで感得出来て、大歓喜を自然に生じることに比べたら
実に空しいもので取るに足らぬものである 」と、一転して否定し

 

気海丹田に氣をこらし坐禅工夫を積算させ見性すること。

 

これが真髄で真の大霊験は大安楽、大解脱、大歓喜の見性体験を得ることですよ!

 

 

これを得たら、さらに、真空無相を悟るだけに止めず、より精進すべし!

 

 

 

としてるとこが禅師の名僧たる由縁ってとこなんでしょうけど

 

 

 

そうとは言え

 

 

十句観音経を念誦することに対する賛美が止められない止まらない・・

 

ご自身でも、よっぽど何かあったんだと思います。

 

 

 

それに・・白隠禅師って方は、15歳で出家する以前・・12歳の時に
すでに観音経普門品25 2062文字を暗誦し
毎日読経してたと言われるほど・・いわゆる上根の方です。

 

 

 

法華経も幼少の頃に聞き覚えて大人に聞いたことを語ってあげて
大人をして涙を流すほど感動させてたという逸話もあるくらいです・・

 

禅師は、そんな御方でして、15歳で出家して以降
あらゆる仏教経典にふれて研究研鑽したという形跡が残っています。

 

 

 

 

当然空海が大事になさった般若心経も禅家独特の奔放な解釈で

 

「 般若心経毒語 」という本まで作成し研究為さってますし
60代後半には解説本まで編纂して般若心経も貴重に思っておられますが

 

 

 

こと実践ということになると

 

この十句経に異常なまでの熱を帯びさせて十句観音経にわざわざ「 延命 」

 

命の可能性を延ばすという二句を添えてまでして

 

自宗、他宗の隔てなく参究なさるとよい!ということで薦めています。

 

 

白隠禅師の、ご存命当時は、´田舎の貧しい住職さん´で、高位の僧では決してありませんでした。

 

 

ですが、幾世紀を経た後は、あれほどの高僧中の高僧として

 

世界的にも認められることになった方が異様なまでに

 

このお経を念誦することをプッシュしているんです。

 

 

 

手紙の中から

 

白隠禅師の直の感想のごく一部をピックアップすると

 

 

「 この御経の霊験、老僧が身の上においても
心も言葉も及ばざる有難き事ども数多たびこれあり 」

 

 

として自身でも実践し奇妙で有難い体験が、やはり数多あったんでしょう。

 

 

 

さらに

 

 

 

このお経を眞誦したいと欲するなら

 

斎戒沐浴し

 

厚く坐物をしき、端念正座し、脊梁骨を堅起し

 

このお経を

 

氣海丹田の寶(宝)所に向けて真心こめて単々に念誦しなさい!

 

そうして(氣海丹田に向けた)心上には謹んで念比( ねんごろ )に観察なさい。

 

 

と方法も含めてプッシュしまくってまして

 

 

 

「 老僧二三十年来、老幼男女を選ばず此の大事を以て指南し来るに
 十が八九に大利益を得ずということなし、今日に至て
 力を得るものは何千人といふ数をしらず 」

 

 

 

 

これを敬う気持ちを以て氣海丹田の寶所に向けて
深い精神集中を伴わせて単々と念誦していったら

 

 

やがて氷盤( ひょうぼん )を擲さいするに似て

 

八識頼耶の含蔵識を粉砕し塵沙無明の大根本を抜却す・・( 中略 )

 

 

 

 

として

 

 

かいつまんで現代訳するなら

 

やや恣意性の入った意訳になりますけど

 

このお経( マントラ )を氣海丹田の寶所(宝所)に向けて深く集中し念誦し
謹んで参究を積み重ね

 

健康や運命を暗転させるものをクリーニングすることが

 

阿頼耶識という潜在意識の深い最深層に詰まっている
あっても何の役にも立たない( 進化向上、繁栄を阻む)嫌な記憶を含めた
奥底の負の要素を溶かしクリーニングすることになりますよ!

 

それだけでなく心象風景を変えて心の振動数を強めていった暁には

 

二進も三進もいかないという窮地なときほど

 

(リアルの現実においても)
とりわけ、このマントラをひたむきに真摯に実践すると

 

苦から解き放たれ現世的なことも含めた霊験を発揮してくれますよ!

 

 

 

そういうのでなくても

 

 

氣海丹田の寶(宝)所に向けて不退転の決意で真心こめて虚心単々と念誦し
大観音菩薩にお委ねなさい!

 

 

そうしたら

 

十のうちの八か九まで(80%または90%の確率)で
大利益を得ずということは決してない!
今日に至って力を得るものは何千人という数を知らない! 

 

 

とあれほどの名僧が、そこまで確信を持って、さる有力大名に言い切っています。

 

( 今でこそ名僧の名をほしいままにしてますが、当時のシチュエーションからしたら
禅師は位階など頓着なかったそうで70代になっても僧の位が非常に低いまま・・
 当時の状況からの俯瞰では、そういう僧位のお坊さんが
当時身分最高位の武士の棟梁の大名に言い切ってるんですから
下手なことは書けない・・相当の気迫と真心で大断言的に書いてることがわかります )

 

そこまでの迫力でプッシュしてる。

 

 

 

 

 

 

 

この手紙によると、この十句経の由縁は

 

この10句42文字のお経の元々の由縁としては
4世紀〜5世紀の古代中国にまで遡ることができるそうでして

 

 

中国の東魏のある将軍で群主だった方で
観音信仰の格別厚かった方が
冤罪で死刑宣告を受け

 

翌日に死刑執行( 斬首 )されるという際に

 

夢に修行僧が出てきたそう

 

その僧によると高王観音経( 延命十句観音経と類した内容 )を夢で伝授され
それを1000回誦せば、この窮地から救われると告げられた。

 

夢で見たことを、これが最後という気持ちで念入りに実行したところ

 

次の日、刑場に立たされ
その時点で900回まで誦してて

 

残りの100回を刑場に行く途中・・

 

刑吏にゆっくりと連れて行ってくれるように頼んで

 

その間に100回唱え死刑執行前に1000回目の読誦を終えた。
すると奇妙な経緯で彼は九死に一生を得て死を免れることができた。

 

 

 

これが母体になっていると、その内容にあります。

 

この内容は法華経の観音経普門品にも出てくる内容というのはご存知の方も多いはず。

 

 

 

仏祖統紀にも、これと似た逸話があって、この話は、高王観音経でなく
この10句42文字の延命十句観音経を1000回真剣に念誦することで
不可思議な経緯で絶体絶命の窮地( 死刑執行 )を免れたという2つの話から
窮地を脱するという由来があるとされてる。

 

 

 

 

それを受けたせいなのか

 

江戸時代に霊元法皇(112代天皇)が延暦寺の霊空律師に

 

幾万のお経の中から恩恵の大きいお経を調べなさいと命じて

 

それを請けて霊空律師が探しまくって、これ( 十句観音経 )を進献した由縁が日本にあるのだとか。

 

 

白隠禅師ご自身も、庶民に、これを薦め、禅師が見聞した奇譚によると
以下のような奇跡的なことが起こって
私( 白隠禅師 )自身も喜び驚き呆れているといったことが書かれてます。

 

 

 

 

幾つか挙げてみますと

 

明治以前の日本人は神仏を本気かつ素朴に信じていた
という信念の強さっていうのと親戚、地縁の連帯の強さってあると思うんで・・そこを差っ引いてお読みください。

 

 

〇寛文3年(1663年)に京都三条通町のある家で百薬効かず重い病で臥せっていた妻を助けたいと思って
北野天満宮に丑の時詣でをして7日間祈願した男がいた。
そうして満願したところ、その日、まだ明け方前だったのに、
明かりのついていた茶屋があったので、そこに立ち寄りお茶を飲んでると
老僧が、一人腰かけていた。
老僧から、なぜ祈願をしてるのかを問われた男は深刻な事情を、かの僧に話したところ

 

この老僧から、この十句42文字のマントラ(お経)を授けられた。

 

その後、帰ってみると家族や親類たちも男が帰宅する、ついぞ直前に
老僧から授けられたと同じお経を寝床の妻の周りで声高に唱えていた。

 

不可解なことがあるものよと思った男は
わけを聞いたところ、老僧が訪ねてきて、このお経を伝授されたという。

 

これを聞いて、男は、これはひょっとして北野天神が我々に
信心深くお経を読誦させようとして、御身を両所に分けてお経を伝授して下さったのだと感づき
男は、喜び勇んで家族、親類縁者総出で真心を込めて心を一つに高声に念誦したところ
百薬効かず万策尽きて手の打ちようのなかった瀕死の重病人が奇跡的に治ったという。

 

白隠禅師ご自身が体験したことも綴られていて・・

 

〇西暦1750年の春 現在の広島県〜岡山のある城下に
飛び抜けて可憐で美人な、お綾さんという方がいた。
この方は琴などの技芸に長け、ずば抜けた才があって人気も高かった。

 

ところが、その芸事をお綾さんに授け教えたお師匠にあたる方に
異性関係でストーカーまがいの執念深い恋慕をされ

 

ドロドロになった挙句、その師匠は恋煩いが極点まで達して
恨みと怨嗟の言葉を述べながら亡くなった。

 

それからというもの、なぜか、お綾さんは、ひどい倦怠感にも悩まされ
至芸ともいえる琴の音を奏でる肝心の指がぶるぶる痺れて全く弾けなくなった。

 

挙句の果ては首にぐるんと数珠をかけたように
首の周りに腫瘍みたいな得体のしれない気色悪い赤黒いブツブツもでき
医者に見せても手の打ちようもない仕事も手につかなくなって体もけいれんし
とうとう仕事が一切出来なくなった。

 

そうして病状悪化し

 

こんな限りない苦しみがあるのかというくらい

 

ウンウン唸って立ち上がることすらできないで寝込んでいた。

 

その相談を受けた白隠禅師は

 

( この手紙を書いた当時70代前半の頃から遡ること7、8年前、禅師が60代半ばの時に )

 

この10句42文字のお経を授けて読誦するよう薦めた。

 

そうして本人含め周りも真心を込めて一致団結し
昼夜を分かたず声高に念誦したところ
亡くなったお師匠がお綾さんの夢に出てきてお礼を言い
お綾さんの首の腫物も跡形もなく治癒し、のしかかってくるような
ひどい倦怠感や体の痺れもおさまり

 

歓喜雀躍、お琴の仕事も一層磨きがかかって、
妙境( 名人の域 )に達するほど、できるようになったという

 

 

 

〇これと同じ時期( 1750年頃 )に現在の広島県〜岡山のある城下に
30歳少し手前くらいの武士がいたが
突然精神疾患に罹り野獣のように暴れ回り誰彼構わず刀まで振り回す・・
狂いまわって、もはや手が付けられなくなった。
親類一同で評議して
近くの穴蔵の底に牢舎を作って閉じ込めるしかないということになった。
その武士( 若者 )は3年近く、このような有様に陥っていたという。

 

この若者の両親も看病する方々も困り果て疲れ果てていたところ

 

先に紹介した「 お綾さんが奇跡的に治癒した逸話 」が、
この両親の耳にまで風の便りで届いた。

 

 

 

白隠禅師が、この近くに来てるということも知り禅師に相談することにした。

 

 

相談を受けた禅師は

 

お綾さんだけでなく、これこれこういうことで奇跡的に治った事例や
切羽詰まった目の前の苦境が不思議に去った例は数多ある
他にも、たくさんある・・ということをつぶさに話して聞かせ

 

 

この十句42文字のマントラ(お経)を教えた。

 

そうして若者を止む無く閉じ込めてる牢屋の前で家族、看病人総出で
真心を込めて心を一つにして高声に念誦した。
日を経て病人( 若者 )も読誦するようになっていき
武士(若者)が奇跡的に正気に戻って、さらには、しばらくして元の仕事にも復帰できた。

 

家族、親類諸共涙を流して喜んだという

 

 

しばらくして、旅から帰った禅師がお寺で、その吉報を若者の父親から長文の手紙で受けた。

 

 

( <禅師は>はかりしれない喜びを感じたと大名にあてた手紙に書いています )
 私から言わせると、そんな胸中でいらっしゃる白隠禅師・・あんたさんが観音菩薩みたいですよ・・って感じですけど・・

 

 

 

 

それ以外にも

 

 

 

〇さる城下の有力な家の主人が数多く雇ってる女中さんの中に
群を抜いて美人でとびきり気立てのよい年頃の小屋野という娘さんがいた。

 

主人も、とりわけ目をかけて可愛がっていた。

 

ほどなくして

 

主人の家来に当たる供周りの役職を持つ里介という名の若者が

 

主人の許しもなく、勝手に、この娘さんに手を出してしまった。

 

周りの先輩で小屋野さんを羨んでた女中さんがそれを主人に告げ口したから、さあ大変

 

( 相愛だったそうなのですが・・昔の主従関係というのは、けた違いに厳格だからでしょう )

 

里介は主人から

 

「 家臣のくせに何たる不届きものか!」と烈火のごとく激怒され

 

この主人は、この小屋野さんを特別可愛がってたのも火に油を注ぎ激しく憎まれ

 

主人から首根っこをつかまえられ引きずり廻され、白州の間に引き出され

 

 

刀で一刀両断打ち首にされるところだった。

 

しかし主人の老母に当たる方から

 

本日は神君( 家康公 )の命日( 8月17日 )であるから
天下の武士が本日、そういうことをするのはよくない!お主は改易か追放になるぞ!
と涙ながらに老母に訴えられ

 

直前で刑の執行が止められた。

 

( 主人は、すんでのところで思い止まったものの )

 

打ち首は明日に延期する・・
それまでは、湯殿の浴槽に畳を上敷きし、こやつを閉じ込めておけ!
少しでも畳を動かしたら動かしたものは同罪( 死罪 )とする!ということになった。

 

(恐らく息子<主人>に怒りに燃えて殺生してほしくなかったし、
この若者も助けたかったという老母の慈悲もあったと思うのですが)

 

湯殿(風呂の浴槽の上に畳を数十枚積み重ね水抜きの穴から息ができるような狭いとこ)に監禁された里介は
そっと忍んで寄った主人の老母から、恋仲だった女中の小屋野さんも供に一緒になって
十句42文字の延命十句観音経を授けられた。

 

小屋野さんも含めて湯殿の前で3人でしばらく一心に唱え

 

 

二人が、そっと立ち去ってから

 

里介は狭く暗い湯殿に拘束され絶体絶命の窮地に陥った中で誓願を立て

 

打ち首が予定されていた前夜から明け方にかけて、

 

どうせ死ぬならせめて・・と死ぬ気で間断なく十句経を念誦し続けた。

 

そうしたところ主人の憎しみや激しい怒りは決して静まらなかったけれども

 

<不思議すぎてこのページでは書きませんが>

 

ある不可思議で奇跡的な成り行きで難を逃れ
紆余曲折を経て、里介は名も改め智源とし、ある有力な家の養子になり
その家の美しい娘と出会い、その娘をめとって
十数年のうちに思いもかけない出世をし知行取りになったという

 

 

その他の逸話としては

 

明治以前の日本人は神仏を本気かつ素朴に信じていた
という信念の強さっていうのと親戚、地縁の温かさや団結力の強さってあるとは思うんですが

 

約1カ月( 27日間 )で3万巻をあげたご夫婦に起こった奇譚と近隣住民の温かい団結、連帯の強さには
江戸時代って案外悪い時代ではなかったんじゃないか・・と考えさせられる微笑ましい逸話もありました。

 

私がこれまで禅師に抱いてた鬼軍曹のイメージが
粉々に粉砕されるほど
白隠禅師の愛情や筆の温かさも極まっています。

 

 

その他のエピソードについては興味のある方は調べていただくか本を読んでいただければわかることなので書き控えますが

 

 

そういうふうに、さる大名あてに送った手紙の中に、こういった逸話が
古代中国の奇譚を併せて白隠禅師が体験した観音さまにまつわる
( 通常では考えられない・・説明できない )不可思議な御利益が20くらい出てきます。

 

 

 

こういうのを分析してみますと、このお経を死に物狂い、かつ無垢に唱えることで
危機に瀕し悩みに覿面した際に自分の限られた考えを超えて想定外の助け(導き)が得られて危機( 生命の困難 )を脱して
生命の可能性を延ばしていることがわかります。