虚空蔵求聞持の真言の累積と体験
強力な記憶力と理解力を養うとされている虚空蔵求聞持法について( 実践 )研究したことがあるので書いてみようと思います。
この真言念誦の行法は、欲張らず先ずは腹を練って丹田開発を十分にして
丹田および下半身、足下に氣が鎮まり易くなってからでないと
体験上体液のバランスが崩れて頭に氣が集まりすぎ一般人にはリスクがある方法だと思っていますが
実践方法は弘法大師全集の「 求聞持次第 」という項目のなかで拾うことが出来ます。
インドの古語であるサンスクリットの文字にカタカナの振り仮名をふる形で紹介されています。
( 興味のある方は、以下の「 近代デジタルライブラリー 」の
弘法大師全集の第5冊698ページをご覧ください )
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819285/354
( 4行目に記されています。 拡大表示設定をすると読めるかと思います。
全集では、ノウボウではなく、ナウボウというカタカナの振り仮名が付けられています。
文献によって微妙に読み方が違うようです )
そもそも、この記事を書く気になったのは
私がたまーーに見ている( 見ていた )
船井幸雄先生の公式HPがきっかけです。
なお船井先生のことについては、これも紆余曲折がありまして
私の場合は20代の頃は、この方の本を読み漁ったりしてたこともあるのですが
天風先生の口述書を知ってからは、そういう類の本を読むことすらしなくなっていました。
ですが、その後、船井先生が天風先生の口述書をHPなどで
以下のようにチラチラ紹介するようになってるのを知ってから
また注目するようになっていったという経緯があります。
さらに追記するなら、以下の記事を読んだ2011年6月の時点においては、すでに
100万+20万( 計120万遍 )以上の求聞持真言の念誦というのは
もう何年も前に実践完了済みだったわけですが
整理のために引用しつつ執筆することにします。
船井先生の求聞持法にまつわる記事は以下の記事です。
http://www.funaiyukio.com/funa_ima/index.asp?dno=201106003
( 以下引用 )
マントラはなぜ効くのか? よいマントラを活用しよう。
世の中には多くのマントラ(真言)があります。これは効果があるようです。
私がマントラは効果があるのだな……と知ったのは、
1980年代のはじめにTM(超越瞑想法)を知った時が、はじめてです。
大発見だというので『超瞑想法TMの奇跡』(85年5月 PHP研究所刊)を出しましたが、
この本はよく読まれ、日本にTMブームをひきおこすとともに、「マントラ」というコトバも普及させました。
( 中略 )
波動も鋳型も「確信する」と強固になるのが分りましたので
「良いことが実現できる、と確信しなさい」、と’90年ごろからたえず言うようになったのです。
これは真理だと思っています。
ところで、きょうはよく効くマントラの話しをしようと思います。
先月のことです。船井総研で私の秘書をしていた女性(愛称 みいちゃん)が
「最高のマントラを見つけたので、お知らせします。おやりになりませんか?」と
空海や日蓮がよく唱えたという虚空蔵求聞持法のマントラを教えてくれました。
それは100日間で100万回唱えると効果が絶対だというのですが、
「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリ キャマリ ボリ ソワカ」という真言でした。
それだけでなく、この真言は、北海道で成功塾(?)を開いている鈴木公一さんが詳しく、
いま大人気だとも教えてくれたのです。
その後、忙しく鈴木さんのブログを一通り見ただけで、それ以上はまだ調べていませんが、
興味のある方は自分でお調べください。
ところでこれは効きそうです。鈴木さんは「能望真言」と言っているようです。
ホ・オポノポノの効果も同様原理だと思います。日本でもかなり流行してきましたので、
日本語の「ありがとう、ごめんね、愛しているよ」が鋳型になり、段々と効くようになってくるでしょう。
( ここまで )
上記の記事に追記の形で求聞持法という行法のことを解説するなら
求聞持法という行は他者との交わりを断ち、秘密儀軌に則って一人、大自然の中で
以下の虚空蔵菩薩の真言
「ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリ キャマリ ボリ ソワカ」
を、期限内に、ひたすら唱え続けるという修行になります。
これを最も熱心にやった方は船井先生のHPにも引用されてるように
歴史的にも弘法大師( 空海 )が、最も熱心に取り組んでいるでしょう。
お大師さま( 空海 )は、この真言による修法を非常に大事に為さっていて
私度僧として遣唐使船に乗船するという機会に導かれる
おおよそ10年以上前の20歳前後の頃に
東南の開けた室戸岬の洞窟に籠って
一心に、虚空蔵菩薩の真言を
秘密儀軌に則って100日で100万巻唱える修行したとされます。
その後、命がけの決意で遣唐船に乗り入唐。
33歳で唐から帰国して後も、折あるごとに、この真言を念誦するという荒行を
生涯で最低でも10数回為さったと言われています。
かく云う私も、この真言を繰り返し念誦することで
記憶(聞持)する能力を底上げするとされてることから
記憶の原盤でもある潜在意識( 心の原盤 )のクリーニングに寄与する可能性を考慮し
加えて、副次的作用で、私みたいなもんでも、ちょっとは地頭がよくならないだろうか?
それ以外にも、なんかあればいいなぁと淡い期待を抱いて実践した体験があります。
※高尚な動機ではなかったことは間違いありません。
実践の参考にしようと思って小冊子も当時買っていますので掲載しておきます。
求聞持法の実践動機と体験談と実行し続けようと思ったきっかけについて
私の場合は密教を深く信じているわけでもなく仏門に入ってるわけでもないです。
どちらかと言いますと仏典よりバイブル研究のほうを熱心にやってきた背景があります。
現在も宗派にとらわれることなく心身統一法を生活べ-スにバイブルを未だに読んでるような輩です。
( 正直に申すなら )
ですが日本の仏教文化や思想にも大きな影響を与えた弘法大師( お大師さま )
この御方は、そのご生涯を俯瞰すると
´私度僧ではあったものの遣唐使船に乗れるという財運に加えて
恵果という当代きっての高僧に会うという強運´
´神秘家の顔´と地に足の着いたビジネス的な´実務家の顔´を持っていて
最澄( 伝教大師 )とのやり取りなど
真理探究や行修に対し非常に厳しい‥
ひたむきな一面も見せるけども廣さもある・・
また自分たちに合う形に修行法そのものを作り替え
高めてしまう日本人的逞しさ・・
そういうエピソードに、なぜか惹かれるとこがあって
心身統一法の実践だけでは飽き足らずやり続けた・・わけです。
そうして
あの当時も心身統一法の実践は当然継続的にやってましたが
この真言〔 マントラ 〕をコツコツ唱えて1カ月が過ぎようとしていたころ
※累計1万遍くらいになってた頃だと思います。
仕事の面で、( いろんな業務が積み重なって先延ばしになってしまった案件 )が
あって苦しい状況に追い込まれたことがありまして
いつものパターンでは、その事情を報告して、
報告後は清水寺に飛び込むようなつもりで意を決してやる・・
というパターンだったのですが
今までの解決のパターンとは明らかに異なる・・プラセボでは片づけられない・・
得体のしれない高次の何かの働きみたいなのを感じて解決できたことがありました。
言葉で説明するのが難しいのですが・・
まだ100万遍(120万遍)には、遥か彼方に及ばない・・
1日20分程度の積算を続けて1%くらいしか到達してない頃・・
おおよそ累計1万遍程度の実践をしてた頃
人事は尽くしてたのは、基本、これまでと変わりなかったんですが
奇妙なことには、「あれっ??」という感じで周り( 出来事 )のほうが動いて
目に見えない力が計ったように働いてパタパタと事が運んでいき
奮闘努力にあまり苦が伴わない相当に楽な形で
すんなり完結した・・というような展開です。
で、こういうパターンはこれまでの私の人生経験になく‥
自分自身を自己分析して常識的で理性的‥
極めて現実的な人間を自負してるんですけど・・
人事を尽くしたうえでの
「 大きく助けられた感 」が非常に大きかったので
思わず深甚の感謝をし1万遍で終えず、
その後も心境や日常生活にどのような変化がもたらされるか?
注意深く様子を見ながら
100万遍(正確には120万遍)まで
続ける気になったという経緯があります。
求聞持法100万遍を達成するまでの最初の導入と達成までの期間と紆余曲折について
3週間( 21日間 )の地ならしの準備期間を経て
1日3分からはじめて表計算ソフトのエクセルで記録を取りながら
本格的に始めてコツコツやっていきました。
続けていく気持ちになったのは1日3分からはじめて1日20分〜30分以内程度の実践にし
それを21日間くらい続けた頃に想定外の展開で
パタパタと解決したことがあった・・というのも´後押し´になっています。
正直なことを書くなら
山あり、谷ありの紆余曲折を経て・・そのプロセスで、
佳いことばかりでなく辛いこと含めて、いろんなことがありましたが・・
どうにかこうにか4年以上かけて100万回( 正確には120万回 )まで積み重ねることが出来ました。
( 本来は100日でやらないといけないものみたいですし、満願の日は「日蝕または月蝕の日でなければならない」等、色々な決まりごとがあります。私自身は得度とか受けておらず伝授を受けたりもしておりません。本来は、密教的な厳格な決まり事の故に得度者しか、してはいけないものなのかもしれない・・ )
そういう厳しい決まり事から照らすと私の場合は通勤時や仕事のオフ時間やらをメインに行っていたし
1日のうちに、そんな長時間の実践はやらない方針でいて、それを続けていったので
100万遍(120万遍)を達成するのに非常に時間がかかりました。
( 記録によると1500日くらいかかっています(-_-;) )
実践上の葛藤と内情という点で執筆するなら
最もシンプルで、ゆるやかな方法でやったとはいえ、
それでもやってみると100万遍(120万遍)まで積み重ねるのは
苦行ではないですけど意外に難しくて、最初は、たった100回唱えるだけでも
やり始めた当初は時間がかかっていました。
ですが
少しでも早く唱えれるように・・というので、
心身統一して工夫してやっているうちに、
どんどん念唱するスピードが早まって
最初は、ゆっくりしか唱えられなかったのが、
下腹を意識し早く唱えることを心がけていくうちに
超早口で、ぶつぶつ唱えられるようになって、
有難いことに時間を多くかけないでも済むようになっていきました。
やってみて( やり続けてみて )しみじみ思ったのは
( 正式なやり方、作法に則ったやり方ではやらなかったものの )
「 言うは易し 」一見簡単そうでも、実際にやってみると
( 正式なやり方ではなくても )
複雑なマントラ( 真言 )を日々延々と繰って、
1500日くらいかけて、100万遍( 正確には120万遍)やり遂げるのは
難行、苦行ではないけども意外に難しかった、、ということ。
そのプロセスで、私生活や仕事でも、いいことばかりではなく
辛かったことを含めて、いろんなことがありました。
正直な本音( 実態 )申すなら・・
最初の3週間〜1カ月で1万遍やって
その後はペースがガクッと落ちてしまいまして
その後の行修の3〜4カ月・・さらに始めてから1年くらいのときは
心身統一法で信念強化の暗示を施しつつ観念要素の更改などの
潜在意識のクリーニング行法を実践して感受性の積極化や
進化向上を促す( 肉体の快苦を超えた )高次の意志力を煥発するメソッドや習慣統御の工夫を凝らして慎重に実践してたとは言え
「 こんなペースだったら100万遍なんて無理でしょ・・
ひょっとしたら20年以上かかってしまうんじゃないのか?これ・・」と
気が遠くなり幾度か挫けそうになりました。
ですので100万遍( 実際には設定を120万遍にしていた )を
達成したときは嬉しくて高野山ではなかったけども
そこそこ近場にある弘法大師ゆかりのお寺に行って
人知れず報告に行ったくらい嬉しかったのを記憶しています。
さすがに、そこのお寺の関係者の方とは何の面識もないので、
そんなの話すわけにもいかなかったのでひっそりと・・ということになりましたけど・・
求聞持法を実践した結果、どういう変化が起こったか?超人的記憶力は身に付いたか?
インターネットで調べると
「 求聞持法の只管暗唱により間脳記憶が開く 」ことについては
最先端の脳科学から見ても根拠は、どこにも見当たらない
迷信に過ぎない、、等、色んな批判記事もあるようです。
確かに私自身の体験においても4年くらいかけて
累積100万遍を実践した結果に照らしてみて
その前後で七田先生の仰る累積100万遍で
右脳が拓いて超能力が発現したとか(;^_^A
一度見たら絶対に忘れないというような
いわゆる完全記憶と言われるような超人的記憶能力が、
これを実践完了させた私に身についたとは思えませんので
七田先生の理論は、恐らく何らかの補正が必要なのでしょう。
そもそも地頭が良くなったか?ということについても、
正直、自分でもよくわからないとこがあります。(;^_^A
( 期待した方には大変申し訳ないです・・
中立的な目で観て執筆してるわけで正直を旨としていますんで )
なお、この求聞持法については空海上人だけでなく
鎌倉時代の日蓮上人や栄西禅師
近年では明治時代の弁栄上人など
日本史に出てくるような高僧が取り組んだ記録が残っています。
※ 栄西禅師と求聞持法
上記を読めば18歳で千命から安養寺で虚空蔵求聞持法を授けられている.という記述があります。
お坊さまじゃない方で実践したことを公言していた大学教授の方もいます。
その方は上山春平という京都大学の名誉教授でして
この御方も実践したことが知られています。
この御方のことに簡単に言及するなら
上山教授は大学卒業後、24歳の時に海軍見習士官として
人間魚雷回天に二度も搭乗を余儀なくされ
二度とも生還した異色のキャリアを持つ方です。
( 回天については東京 九段の靖国神社を訪ねた際に
境内の展示施設で拝見し、なんとも表現することが難しい複雑な心境になったことがあります )
回天のことはさておきこの方の場合は私よりも遥かに短期間で完遂していまして
大学在学中に1年で100万遍の実践を完遂為さった経緯と体験を
以下のサイトで動機を含めて詳細に述べておられます。
上記サイトをご覧いただけば、この行法の実践により
一度見たら絶対に忘れない不忘の記憶能力を身に着けたとか
超人的能力が発現したとかいったことも
( 大学教授だから、当然と言えば当然ですが )
上山教授もコメントをなさっていないので・・
やはり、七田先生の理論は、公平・中立に見て
何か補正事項があると考えてもよいのかもしれません。
しかし、そうとは言え、私の場合で言えば、繰り返して書きますけど
実際にやってみて、やり続けるうちに得体のしれない生きた働きを感じて
思いをはせるようになったのは事実ですし、
求聞持法を実践し完遂するプロセスで
自分の事しか考えてなかったのから
分かち合う形の取り組みに変容していった・・ということ
これ自体が、既に、大きな恩恵を受けていたと言えるのかもしれません。
( 追記で )
私の場合は求聞持真言をおおよそ1万遍累積した頃に
先にコメントしたように少し不思議なことがあったので継続しましたが
これだって人それぞれだと思っています。
それに、このサイトでもし、万一興味があって、やってみたいとお思いの方が
いらっしゃるといけないので追記しておきます。
この記事を執筆している私の場合は、漫然とだらだらやるのは避けたかったので
最初の頃は、タイマーを使って、時間を決めて、その時間だけは心身統一して集中して実行する、、というやり方にして
´1日の時間枠で実践する際に長時間の実践はリスクがあるのでしない´という方針で
4年以上の時間をかけて記録をとりながら100万遍(120万遍)に達するまで真言を繰る、、ということをしましたが、
( 今から振り返ってみたら )
やる前にでも、弘法大師ゆかりのお寺に行って相談できるなら方がいるなら相談し、
実践することを報告すべきだったな・・と思ってるし
回数とかに、あまりこだわったりせず
日本の歴史上稀に見る、あの天才のなかの天才の空海( 弘法大師 )が非常に大切にしたマントラ( 真言 )・・
空海上人は、そのご生涯で虚空蔵真言100万遍の実践を十数回為さったそうでして
鎌倉時代の日蓮上人や栄西禅師、明治時代の弁栄上人など
日本史に出てくるような錚々たる高僧も取り組んだメソッドということをかみしめて
明朗な気分かつクンバハカにして丹田に氣を集めて、しみじみ、じっくりと唱えて、その響きに心地よく身を浸し
心を満たすだけでもよいのではないかとも思っています。
後は・・せっかく、やるのでしたら、信仰を持ってるなら
その筋の住職さんに相談するか、そういう方面の信仰がなくても
せめて、お大師さまゆかりのお寺に人知れず報告に行った方がよいと思っています。
マントラが合うか合わないかは人それぞれなとこがあると考えられますが
沈んだ気持ちになったときに、この虚空蔵真言を唱えたら晴れ晴れするようなよい気持ちになったり
平安感や安心感が増したり
自然な衝動として純朴な慈悲心が出やすくなったり
むくむくと体内から力が湧き上がったりするような感覚が
微かにあるのでしたら、マントラとの相性が好い験と見てもよいのではないでしょうか?
あとは、無理をしない・・呼吸のバランスを崩さない・・
クンバハカと併せて丹田を決めて重心を下げ腰に氣を集めることは
リスク回避のためには、やはり必須だと体験上思っています。
あと・・心身統一法を実践して精神精力( 根気<克己心> )の底上げが
少しずつされているバックボーンが無かったら
恐らく、この行法だって、持続的に、やりきれなかったと思っています。