以下は、本サイトを読んで、実践しようとしている方々からの
ご質問に対し、お答えしたものです。
質問と併せて、少し加筆し掲載します。

 

 

( 以下、抜粋引用 )

 

 

Q「 大祓祝詞や観音経普門品等、どうやって暗唱しておられるのですか?

 

(中略)興味を抱いて取り組んでいますが、当方、高速化する以前のところで挫折しています 」

 

A メイン・サイトにも少し書いてるように私の場合は口述書に出会った後は
心身統一法の口述書以外を決して見ないし、口述書以外は読まないという戦略を立てて
口述書以外を読むこと、見ることも止めて(シャット・アウトして)死ぬ気で実践しています。

 

※口述書以外、全てシャット・アウトし述書に徹するというのは半年以上続けた記憶があります。

 

( いろんな方法に取り組んでも駄目だったので、
もう、このじっちゃん(=天風先生)の方法を実践しても駄目なら、
ふがいない自分自身を変えるのは最早無理だろうと当時思って覚悟してやって
いました )

 

ここに述べていることは、ライフワークみたいなものでして

 

口述書の真剣な実践の継続で
心の深い領域の浄化に熱心になることで
心を越えた意志の力が渙発しやすくなって、
その結果、意馬心猿の如き心を鎮め、かつ取り扱えるようになり
その延長で以前よりも格段に精神精力(克己心)が蘇ることになりました。

 

 

精神精力が蘇ってなかったら

 

祝詞や心経の暗唱などの取り組みや継続ですら、諦めて
そもそも取り組めてなかったでしょう。

 

 

 

内面的で主観的なことですが

 

口述書を研究し実践メニューを書き出しメニューを組んで
各タスクについて
焼けつくような実践を継続し、特殊な方法で習慣化することで
めったやたらなことで悲しんだり、嘆いたり、恐れたり、雑念妄念、邪欲、邪念に囚われたり
心が乱れ騒いで抑えがたいというようなことや
取り越し苦労したり・・といったことが激減し克己心も蘇っていったのを覚えています。

 

上記のような内面の変化だけでなく

 

´論より証拠´の積極的生活事実が私自身を、しっかり支えるようになって以降、

 

十代の頃からのライフワークで、一度諦めて挫折した事についての探求を再度実行しているのにすぎません。
( 中略 )

 

それをご了解いただいた上で、ご質問の件についてお答えするなら

 

私の場合は、やや特殊な記銘の仕方で覚えています。
以前にも、メルマガで執筆してきたように
眉間を開く方法、記銘する際の目線の使い方、丹田へ落とし込む方法などを断片的に書いたことがありますよね。

 

そういうのを適宜組み合わせて覚えてるわけで祝詞やお経の記銘および暗記は
変性意識と氣を使った特殊な覚え方をしているということになります。

 

 

ただし結局、この特殊な方法なども
主に過去の生活由来の記憶から出てくる消極連想が浮かぶ温床になっている潜在意識の印象貯蔵庫を洗いつつ
私みたいな者にはできない・・っていう弱気や負け犬根性を
クンバハカと背水の陣をしいた凛とした信念強化暗示で吹き飛ばすことを継続させた土台の上で閃き、
トライ&エラーを繰り返すうちに編み出した方法でして

 

尤も、私自身いろいろ取組んできて

 

記憶力の向上を何となく自覚はできたことは否定はしませんが

 

そんな劇的に変わったとは思っていません。

 

とは言え、土台というのが、とても大事と思っています。

 

 

裏返すなら

 

たとえ何か特殊なノウハウを知っていたとしても

 

もし「成功の実現」などの著書を通じて心身統一行法の体系に出会って実践してなかったら
色んな地道な訓練を、そもそも続けられなかったと思っています。

 

Q しょうもない質問ですのでスルーしていただいても構いません。
  ブログにもバイオケミカル分野の論文やら専門外の医学文献を読むために
速読する能力を培ったわけでは決してないと書いておりますが、
それでは、なぜ?速読をマスターしようと思われたのでしょう?

 

 

A 私の場合は、仕事の面でのこともありましたが
本音は、仕事の事より当時バイブル研究したくて速読のトレーニングをした
というのがあります。

 

(ちなみにバイブル研究は、未だにやってます。最近、またバイブルを買いました。
(参考写真) )

 

バイブル研究をしたいけど速読できないと時間もないし
体系的に学べないと思いトレーニングしたわけです。

 

その副次作用として当時、仕事の処理も幾ばくか早くなったというのは体験( 自覚 )しています。
速読のトレーニングが進むにつれ、ほぼ同じ仕事量どころか
例年より、事務的に多かったのですが(お蔭様で)夜11時→夜9時→夜7時半
というふうに帰宅時間が早くなっていきました。

 

自分の業務範囲以外で当時、夜中まで頑張っていた先輩の仕事の手伝いを
幾ばくか負担する余裕まで生まれるようになっていったのを記憶しています。

 

 

ですが結局これも心身統一法で克己力(精神精力)を支える意志力と信念が蘇ってなかったら
地道なトレーニング自体を続けられず中途挫折してたはずです。

 

それを証拠に大学生時代も速読のトレーニングをしたことがありますが、
ものの見事に挫折( 気が付いたら訓練を止めていた )しましたから。

 

Q 求聞持法は今でも続けておられますか?

 

これに取り組み完了させたのは、もう10年以上前になります。
現在は4年がかりで120万遍というのをやった当時のような緻密かつ継続的な取り組みはしていません。

 

 

ちなみに求聞持法も、単に記憶力増進ということに止まらない´何か´があると思っています。

 

 

( この件について、少し話題がそれますが )
私はずいぶん以前に東京出張した際、靖国神社の遊就館というところで
人間魚雷回天というのを拝見したことがあるのですが・・

 

これ・・一度でも、ご覧になったことがある方ならおわかりのように
直進しかできない構造でして、まさに究極の特攻兵器です。

 

奇跡的に生還した方も「死にぞこない」という心の葛藤を抱える
というのは涙しかないですが

 

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66117?imp=0

 

 

上述の人間魚雷回天に搭乗経験を持つ方の一人に上山春平京大教授がいます。

 

上山翁は人間魚雷回天に搭乗を余儀なくされる数年前の大学生時代に

 

求聞持法を実践し2年足らずで100万遍を完遂しています。

 

翁は学生時代に求聞持法のさまざまな修法のなかでも

 

市井の方でもできる緩いやり方を選択、実践し完遂するプロセスで
重度のノイローゼが治ったそうですが

 

その後、学徒出陣で徴兵され回天で特攻出撃を2回も経験していまして

 

(不思議なことに)

 

奇跡的に二度とも生還し、後に空海研究の優れた著書まで出版しています。

 

本来なら密教を体得しているような師僧に師事し伝授してもらう必要があり
そうした上で厳しい修行を課したとしても、空海のように求聞持法の成就者になれるかは不明です。

 

しかし、たとえ成就者にはなれなくても
記憶力増進だけではない、何かがあると私は思っています。

 

 

Q 般若心経読誦は今でも続けておられますか?
 また、貴殿の解釈でよいので、この意味を教えてくださると有難いです。

 

A 右脳研究の権威のお一人の七田先生の著書にも般若心経10万回の読誦は
頭の質を根底から変えるし能力開発にも非常に良い、というような記述がありましたので
3.11を契機に求聞持法に続き取り組みました。

 

ただ・・求聞持の真言との文字数の比較などから
求聞持法と同じような取り組みをしたら
5年くらいで10万巻は成せるだろうと踏んでいましたけど、
とんだ計算違いでした。
思ったより難しく
9年間で5万巻くらいしか累積できていません。

 

 

ですので10万巻までの累積はいったん保留し
続けてはいますが5万巻を一区切りにし
3年くらい前から写経のほうにシフトしています。

 

書く方が潜在意識を動かしますから

 

 

それに心経を何百万回も読経した方は市井の方では
近年でも小原弘万、鍵田忠三郎翁など、いらっしゃいますので
未知の領域というものではないです。

 

 

ですので、私の場合は
読誦の積算という点では
大祓祝詞のほうに注目し累積していってるというのがあります。

 

 

なお

 

心経の内容解釈については心経を1万回ほど累積していた頃
丁度、併読でインドのヨガ聖者のパラマハンサ・ヨガナンダの「人間の永遠の研究」というのも
読みこなしてまして

 

この本の講話33 目に見えない自分 の章が般若心経の中核的教えとかぶって解釈可能ということに気づきました。

 

心経は、いろんな多層的な響きがあるお経ですが
その響きの、ある層を掬いとったら

 

「 目に見えない人間に苦しみや死はない 」というのが般若心経の教えのエッセンスの一つと
解釈することも出来ると私は思っていまして

 

 

同書の講和33では、先の記述が詳細に論じられています。

 

それ以外にも「 たとえ目に見える自分に苦痛が襲ってきても
内なる見えない自分の聖なる力を知っている人は、その肉体的苦痛を超越することが出来る 」。という記述もあります。

 

( 尤も、それを上っ面ではないところで命に感受せしめるには瞑想(禅定)で深い領域に入らないと無理ということになって
 結局、忍辱や持戒などの誘惑を避け邪念、雑念妄念を削っていく仏道修行<>の弛まぬ取り組みがあって、そういう日々の生活の土台がないと無理やろ・・ってことになるのですが )

 

そういうツッコミは、さしおいても、般若心経のお経の中で解釈可能な内容とかぶっていると観ています。

 

 

ですので、同本を読めば心経を新しい視点で俯瞰することにも役立つし
ハッとさせられるものがあるのではないでしょうか?

 

( お釈迦様はインド人ですから、同じインド人で聖者中の聖者のパラマハンサ・ヨガナンダのコメントは参考になるのではないかと思います。
同本は、決して心経を解釈した本ではないですけど・・ )

 

また神道の六根清浄大祓と般若心経は、かぶっている箇所もあると観ていますので
先に紹介したインドのヨギの本や思想に馴染みにくさを感じるなら
神道の祝詞(六根清浄大祓)の系譜からアプローチをすることで
般若心経の新たな地平を覗き見ることが出来る可能性もあります。

 

<そういうのがなくても六根清浄大祓はお薦めです。個人的には・・ですが・・>

 

 

 

追加で、これは、ずい分以前に頂いた質問ですが

 

Q「 潜在意識を活用して不倫の恋を成就するなんてのは可能ですか? 」
というご質問もありました。

 

 

A これについては・・これも十代の頃から幾らか研究してきたもので、
これもインターネットが発達してなければ、私のような個人で研究してるような人間が
世の中に、出す手段すらもなかったはずですが・・・
せっかくの機会なので公開しておきます。(相当に大事なことだと思うので)

 

※長いので本メルマガ(このブログ記事)では掲載はしません。
以下の頁にリライトしアップしておきました。

 

 

潜在意識を汚す行為( 世界最古の教えから )
 ↓ ↓ ↓
http://agito-bms.xsrv.jp/entry41.html

 

(ちなみに、この質問を私にした方からは、あれ以来、一切返事がありません。
おそらく、今は、メルマガの読者にすらなっていないと思っていますが・・(-_-;) )