般若心経の累積と体験

 

AI時代に「 般若心経 」というのも我ながらびっくり驚きでして

 

私自身、ディープ・ラーニングの最新論文とかを

 

たまにつらつら眺めるような人間なんですが・・

 

 

なぜか祝詞般若心経に心惹かれるとこがありまして

 

特に心経についてはIMEE OOIさんという方の以下の音源に強く惹かれ
魂を持ってかれるほど音韻に美を感じたのが覚えたきっかけです。

 

 


( 今は日本語のverも無料で公開されてるようです。
個人的には上記のものを含むサンスクリットverのほうが好きですが・・ )

 

こういうのを聞いていたせいか、あまり時間もかける必要もなく、
日本の心経でも割合すんなり暗唱できるようになったのを記憶しています。

 

ですが2011年の東日本大震災の前までは、心経に取り組むと言いましても

 

2010年10月時点では、この当時も暗誦できるようになってましたが、
暗誦した心経を時々読誦する程度で´数取り´もしてなかったんです。

 

 

ですが3.11の震災以降は、無性に心経が気になり始めて
( 学生時代からバイブルをよく読んで、いまだに読んでる人間なのですが・・)
心経を毎日の生活で意識するようになって
極力、記録( 数取り )するように努めていきました。

 

なお、読経を重ねる際に、そこに´ 積極精神を耕作する ´
という自己陶冶以外の意義づけをし
個人的佳き効験を期待しなかったわけでは決してありません。

 

 

心経の読経を重ねることで得られる功徳については

 

無心を養って心の落ち着きが得られるというのはあるとされています。

 

 

しかし、本当に、それだけなんでしょうか?

 

 

 

 

親和性や人それぞれ個人個人の背景などにより幾ばくかの相性はあるにしろ

 

 

心の落ち着きが得られるという、たった、それだけのために

 

ここまで多くの人々を実践へと駆り立て魅了するのか?という疑問があります。

 

 

 

般若心経だって、そこに何かないと1000年以上の太古から

 

現代にまで引き継がれて参究され実践され続けてないと思うのです。

 

 

実際のところ、般若心経については宗派を問わず

 

お経を暗記すると記憶力がよくなるというので取り組んでる方や

 

近年では´ 読経が不眠や認知症予防に効果がある ´
ということで信仰や信条、宗派のこだわりなく
それぞれの立場で取り組んでいる方は多いとも聞いています。

 

 

それに心経を読経している非常に多くの実践者の中には、
ごくごく稀に格別に深い持続的な実践をした方もいて、

 

そういう方々の生活史実を追跡すると心の落ち着きが得られる程度では終わらず
なぜかプラセボを超えるような相応の結果が伴っていることも判明しています。

 

 

 

 

 

歴史的に最も有名なのが真理を求めて命がけの旅を敢行した
三蔵法師の般若心経にまつわるエピソードでしょう。

 

 

 

般若心経の読経の重続のみに特化しても深い実践をした方には

 

 

220万遍心経を詠んだとされる塙保己一の逸話

 

近年では鍵田忠三郎翁の逸話なども有名で

 

常人では耐えられないような苦難を乗り越え悲願を達成させた歴史あるものとして
深い読経の実践をしてきた方々の独自の体験も人それぞれで夥しいものがあります。

 

 

 

 

 

かく云う私の場合も、自己陶冶をメインに据えてはいましたが
( 鍵田氏や小原弘万氏の体験談を書籍などで読むにつけ )
それ以上の何かがあるのかもしれないと思い

 

高速暗誦できるように取り組んで

 

考えなくても口からついて出るようにしていったわけですが

 

高速化した最大の理由は、私自身が苦痛を伴う努力が嫌いで

 

楽に継続できるように・・かつ、日常生活に溶け込ましたかったからに他なりません。

 

 

高速化してやることで、単位時間あたりの実行効率が改善され
時間短縮になることで生活化が容易になると思ったというのが大きいんです。

 

 

尤も単純に心経の累積というのでしたら
毎日修行( 読経 )してる住職さんとかでしたら、
そういう読経の累積とかは少なくとも私よりは当然なさってるでしょうし

 

高速暗誦も、やろうと思えば私より、もっと速く心誦できると思っています。

 

 

 

だけども、ここで私が問題視し重要だと思ってるのは、専門の住職さんじゃない・・

 

私たちみたいなごく一般の小市民でも心経などを仕事や生活に
支障のない、心に負担のかからない形で溶け込まし累積出来て

 

読経の累積を通じて般若心経が目指すところのものに思いを馳せ

 

怖れをシャットアウトし心の波動の質を高めて、内界の想念( 心的内面空間 )を変え

 

観自在菩薩の崇高な性質やお釈迦様の悟りの境涯に思いを馳せる機会を持ったり

 

心経読誦をきっかけに観音菩薩の途方もない妙智に思いを重ね合わせたりして

 

とらわれのない恬淡とした心境になっていくことで
実際の生活の中で、平凡な奇跡としての恩恵を受けれるかどうか?ということなのでして

 

桁外れの実践をし累積をさせることで、
世間一般の定説( 常識的固定観念 )を裏切って
プラシーボでは到底説明できない
予想外の奇跡的とも云える大きな導きや恩恵を受けた方がいる・・というのは

 

 

先に挙げたように実例があります。

 

 

そうなってくると、あとは、いかに生活に織り込んで

 

実際生活にも波及できるほどの丹念な継続が出来るか?ということになってきます。

 

 

 

その際に暗誦し速く唱えられたほうが累積させる際に

 

1日当たりに最長でも20分以内の方針で
むしろ決して長時間の時間を割かないという方針にすることで

 

心にかかる負担も少なく私みたいな庶民の負担にならない。

 

極論すれば散歩のときの信号待ちの時やスキマ時間にも
意識的に集中して努力感もなく誦すことも出来てしまいますよね・・

 

 

 

日々の生活において心の質を高め連想観念を尊くするという関係上

 

そっちのほうが、都合がよいに決まってる・・と思ったからです。

 

 

 

そういう理由( メインは1日当たりに長時間の時間を決して割かず
かつ自身が努力嫌いというのと効率性 )から

 

 

超高速化に努めたわけです。

 

 

 

しかし、実際やろうと思ったら

 

心経を暗誦できるようになってたとはいえ266文字(経題を入れたら276文字)を
最初から最後まで唱え終わるのに

 

取り組みの当初は時間が非常にかかってまして3分くらいかかってたんです。

 

 

 

ですけど

 

 

スキマ時間を利用し時間を区切って出来るだけ早く暗唱できるようにと慣らしながら
必ずクンバハカにしてじわじわスピードアップを図って累積させていったところ

 

 

 

1000回( 1000巻 )を越える直前か越えたころに
最初から最後まで呼吸を乱さないでリラックスして読むのに

 

あれ?という感じで50秒くらいになり

 

 

 

1万回( 1万巻 )を越えた頃には
高速心唱を強く意識して唱えたら25秒くらいで心唱できるようになっていました。

 

以下の図のとおりです。

 

 

唱え方は延命十句観音経と少し違いますが1000回付近で爆発的に速くなっているのは
延命十句観音経や大祓祝詞のケースとほぼ同じです。
( これについては龍神祝詞でも同じ傾向だったし
比較的長いお経の観音経普門品や大黒天神経などでも
 たどたどしいながら暗誦後1000前後の読経で突沸的に速くなるのは同じでした )

 

で・・これが、経過報告の結論でして

 

私の場合は、1日当たりの実践に際し

 

決して長時間の実践をしないという方針もあることから

 

2020年3月現在、おおよそ9年間での累積においては、
少なく見積もった場合3万6千巻くらいで多く見積もっても4万巻くらいですから

 

保己一翁や、小原、鍵田翁等のひたむきで専注的
かつ何十年にも渡る実践を為さった方と比べたら

 

比較にすらもならない実践でして・・・

 

 

心経を読経積算した果報としては

 

 

ささやかな体験なら有る気はするけれども
何分、それも主観的な事で明確な因果関係を確信できて

 

かつブログに書けるほどの大袈裟な体験はない気がしてまして

 

 

( 事実として、こういうことをしたからって相も変わらず体調を崩して大変なことだってあるし
恐れず怒らず悲しまずの凡々とした生活してるだけという
お薦めするには説得力のないとこがありますが )

 

 

 

そうとは言え

 

「 決して全く何もないとは言えない・・何かあるんじゃないか?・・なんかあるぞ・・これは・・」と
そこはかとなく思うに至っています。