日本人の集合無意識と観音信仰の恩恵ネットワーク

 

私がこの10句42文字のお経に注目したのは

 

 

冒頭に述べたように

 

 

言わずと知れた

 

もはや、このブログを執筆した私自身のライフワークになってる自己陶冶も兼ねた日本人に合う私たち庶民にも届きやすい
心の奥底の暗鈍愚魯の思凝りを溶かす方法の候補のひとつと考えたからです。

 

 

 

障礙を除き意識されない深いところに染み込んだ汚れをクリーニングすることに、このお経が一役買えるのではないか?

 

という可能性を感じたからに他なりません。

 

 

 

 尤も、私が提示し検証してることは、お経の読誦の累積が自覚できない心の深い所の浄化に役立ち

 

内なる災いを和らげ安寧化するのに貢献できるという前提で合理的に説明できる範囲の功徳です。

 

よって

 

 

白隠禅師が「 延命十句経霊験記 」で直に見聞し体験為さったような・・
いわゆる合理的には到底説明できないような霊験については
どういう機序で、こういうことが起こるのか??

 

これについては未だに正確に分析しきれていません。

 

 

ですが、その件は未消化でも

 

 

 

個人の潜在意識のさらに奥の集合無意識のとこで、この十句経に何かあるんじゃないかと思った理由は

 

 

 

日本人の集合無意識である“日本人的自我”と言いますかDNAの中には

 

お日様への畏敬の念と歴史的、ご先祖さま的に

 

不安や苦を除き安心を感じさせ魂の自覚と
更なる進化を促す善なる勢力( 加護の集合力 )ということで

 

はかりしれない慈悲と神通の象徴としての´ 大観音菩薩 ´という
巨大な集合的イメージとしての敬慕や親しみがあって

 

それが仏教が伝来して以降、約1500年来の歴史的な日本人の原初イメージとして横たわっている。

 

そういうのが日本という国の精神風土として溶け込んでいるという気がするからです。

 

 

 

 

 

それを証拠に般若心経というお経

 

一切の苦厄を度すための理論と考え方、思い方を説いた内容として

 

1500年近く前のものであるにも関わらず
事実として、、このお経が日本人には最も身近なものでとして君臨し続けています。

 

 

 

私みたいにバイブルを熱心に研究してきているような者を含めた一般の方々も
宗派を問わず
よく読まれていますし( 宗派によらず )病の平癒や所願成就・・はたまた広大無辺な仏の知恵を悟り御守護を賜るために・・
ということで写経も盛んに行われていますよね。

 

歴史的に見ても飢饉(ききん)や疫病の流行に心を痛められた御歴代天皇が般若心経を写経して奉納なされた例も幾つもあり

 

その史実(事実)が遺っています。

 

 

で、よくよく考えると・・

 

( 考えるまでもないし、こういうのを学んでる方には、まさに釈迦に説法とは思いますが )

 

 

延命十句経はもちろん心経の主人公も観自在菩薩=観世音菩薩(= 観音さま )でして

 

般若心経は、お釈迦さまが、学問や技芸の分野で
知恵随一と讃えられたサーリプッタ( 舎利子 )に対して

 

観音さま( 観自在菩薩 )という御方が

 

無明から生じる苦しみから解放されるための深い叡智の体得のために

 

一体どういうことを為さって、どういう境域に達し、何を悟り生活化することで

 

生老病死を含む四苦八苦の苦悩を済度なさったか?

 

ということを優しく語りかけるストーリー仕立ての構成になっています。

 

そういう側面と私たち一人一人が解脱し菩薩になっていくことを謳ったものという解釈もできるでしょう。

 

 

 

心経の教えの中核は苦を済度するための空観を体得するための内容であり
それを、やさしく説いた教えと観る事も出来ます。

 

ですが・・実在の徹底否定、物質無という側面以上の慈悲( 慈母のイメージ )というのが底流に流れていると私は考えています。

 

 

 

 

尤も上記で述べた解釈も一例に過ぎず、心経は多重、多層の響きがあり各人各様かと思いますが

 

少なくとも日本人に最も親しまれているお経が日本人にとってなじみ深い
観音さまを主人公にしたheart sutra( 般若心経 )である事実( ファクト )は変わりませんよね。

 

 

 

 

 

また

 

 

 

人間の営みの中における様々な苦悩( 障礙 )に寄り添い困難を解す

 

観音さまにまつわる言い伝えは多いですが

 

メジャーなとこでは

 

親鸞という高徳のお坊さんが、あまりにも真剣に探求していったプロセスで、

 

聖徳太子所縁の六角堂に籠って修行していたときに

 

あまりにも懊悩煩悶が深く、苦悩すさまじく

 

肉体感覚との闘いに気も狂わんばかりに呻吟していた際に、

 

 

 

 

95日目に六角堂で休んでいた時に夢告で、とてつもなく美しいお姿で顕れた

 

 

という斯くも有名な言い伝えもあります。

 

 

この史実を裏付けるお経の経文では

 

観世音菩薩という方は

 

人々の塗炭の苦しみに寄り添い、溶解させるために八面六臂の活躍を為さっていて

 

 

喫緊の悩みから解放するアドバイス( 妙智 )を
信じる人のために与え加護するために夢告という形で顕れることもあるし

 

 

相手が将軍なら将軍、童子、童女なら童子、童女

 

老人には老人の姿をして親しみやすい
受け容れやすい形で三次元の眼前に現われ

 

深くかつ素朴に信じ、そのご加護を欣求する方の苦を溶解させ局面を転換させる霊妙な働きをする・・

 

という法華経のお経もありますよね。

 

 

 

「今昔物語集」「宇治拾遺物語」など日本人に親しまれ読まれてきた日本昔話にも
苦悩に塗れ二進も三進もいかなくなった人々の苦しみの声を聞いて
その切で直ぐなる声に応えて塗炭の苦しみから解放されるように
夢に出たり化身して働く慈悲深い観音さまの逸話がたくさん出てきます。

 

 

 

メジャーなのは宇治拾遺物語の「 わらしべ長者 」でしょう。

 

この昔話も象徴的ですが

 

どうにも切羽詰まって何もかもが逼迫し

 

苦悩の絶頂にあった若者が全てを投げ出し(自我放棄)

 

観世音菩薩( 観音さま )に21日間祈り続け

 

夢に出た観音さまのお告げを素直に信じ、

 

うちまかせることを決意したところ

 

決意し長谷寺を出て最初に手にしたのは一本の藁だった・・っていう
日本人なら誰でも知ってる有名な昔話もあります。

 

 

さらに

 

般若心経は、多くの名だたる高僧が取り組んできた歴史があり
仏前では花の御経として宗派を超えて唱えられている伝統があるし
神前ですらも寶の御経として民衆に唱えられてきた伝統もあり
このお経に力が注がれて力を増幅せしめてきた経緯もあります。

 

 

人々の苦の音を聞き苦を除くのに途方もない妙智力と慈悲を備えた
観音さまへの感謝と讃嘆が込められ、内には小観音を呼び覚まし
外には、その絶大な加護と導きを願うお経である十句経についても

 

宗派を飛び超えて、その名を知られている。

 

 

 

企業の中にも、観音さまの名を冠した企業があるほどです。

 

Canon( キャノン )という会社は観音さまの御慈悲にあやかり

 

世界で最高のカメラを創る夢を実現したいとの願いから

 

そう命名したと言われてるほどですから。

 

 

とどのつまり

 

そういう集合無意識的なとこも含めた背景を鑑みて

 

数多あるマントラの中でも仏さまの知恵が凝縮された、

 

この短い10句のお経( マントラ )を

 

心の主人として責任もって氣海丹田の寶所( 宝所 )に向けて

 

恬淡明朗、思いやりの気持ちを込め祈るような気持ちで一心に念誦する。

 

そうして不思議な安ど感に浸り

 

内面の仮想情動、想像空間内を行き交う想念の振動数を高め上げ

 

結果に拘らず観音菩薩の大きなお導きに任せるという事自体が

 

とっかかりとして日本人に合っていて

 

実践するのにもやり易いのではないか?と思ったのも

 

お薦めできると考えた理由になります。

 

 

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