以下は、本サイトを読んで、実践しようとしている方々からの
ご質問に対し、お答えしたものです。
質問と併せて、少し加筆編集し掲載します。
( 以下、抜粋引用 )
(ここから)
Q、>貴殿はバイブルを今でもお読みですか?またバイブルを熱心に読むような方が、なぜ?般若心経や
>般若心経とも、また系統が違う大祓祝詞などを研究しておられるのでしょうか?>
また、読誦の際の注意点などはありますでしょうか?
A,
バイブルは歴史的に世界一読まれている本です。
私も地球人の一人なので、今でも読んでいます。
と言いましても口述書に出会って以降は、半年以上、こういう書を一切遮断して
「成功の実現」※などの口述書に、ひたすら取り組んで実践研究していた時期もありますので
ずっと継続的に読んでいるというのも正確には語弊がありますけど。
それに台形になるくらい研究したのですが、、、
全くもって喜びに満ちた境涯には至らなかったという、ほろ苦い体験も持っています。
潜在意識の浄化が、心のエネルギ-状態を良くする状態管理に、いかに大事か?という実例として、ここにも書いたように。
一応バイブルは新共同訳やらドンボスコ社のバイブルやら含め何冊も持っています。
ある程度奇麗なものは図書館に寄贈してきているので、そこまで多くは残ってませんが・・
バイブルを長年読んでよかったと思った(思う)ことは、こういう聖典とされる書を折りに触れ読み研究することで
形而上の探求に向かう気持ちが曇った時に原点に戻れたこと。
さらに、根気よく読んでいると自然に危うい誘惑から離れやすくなるのか・・
刹那的なものに溺れる生活を避け、そういうのから離れやすい生活に誘導されるのではないかと思われます。
ですので地味に読んでいったことは結果的に、よかったと思っています。
と言いましても、そんな殊勝な大した生活してるのか??と改めて問うと・・
いや、大したことないし、極めて平凡なのでは?・・という気持ちのほうが強いくらいですが。
尤も、バイブルの読み方や探求の仕方もインドのヨギの本(後述)や口述書を相互研究し始めて以降、
一つの聖句を深く掘り下げていくスタイルにするなど大きく変えています。
( それはさておき )
そういう生活への緩やかな貢献にも増して僥倖と言えるほどよかったと思えることは
以前から、その存在は知っていたものの、食わず嫌いで避けてきたインドのヨーガ聖者の某本※をじっくり読む幸いに恵まれ研究できるようになったことが大きいでしょう。
↑
私もこの本は、相当に読み込んでいますがボロボロになったので最近買い直しました。
この書の内容は決して俗化したものではなく出家を標榜するような方でも難しい内容のため、広く大衆に受け入れられるという内容ではないと思われます。
それに大乗仏教や多神教の神社神道が根付いている日本において
一神教のキリスト教的価値観も底流にある、これらの書が日本においてメジャーになるとは考えにくいです。
しかし、上記の書は、とにかく尊い‥心を洗う聖なる書で、より高き生活に心を駆り立てる書であることは断言できますので、そういうのに興味のある方は読んで研究していく価値はあるかと思います。
上記の・・知る人ぞ知るインド聖者の本を読むことで学生時代から探求してきて
長年解けず悩ませてきたバイブルの中でも特に難解な比喩・・
例えば創世記3章やヨハネの黙示録の難解な比喩などを、
同書であっさり体験的に解きほぐして解明しています。
また
人間の悲惨な矛盾状態、感覚の隷属状態から抜け出す科学的方法も提示し
可能性を開闢しているのが特徴です。
なおメルマガで、バイブルなどを殆んど取り上げないのは、日本人はバイブルになじみが薄く読者にとってニーズがあまりないだろうと考えるからです。
次のキーワード(トピック)の般若心経についてはメルカリなどで天風先生が直筆した般若心経が出品されているように
天風先生も研究しておられたようだし、日本人にとって、最も馴染みのあるお経なので、遅ればせながら私も幾ばくか研究しています。
尤も私の場合は、ここ数年は読経よりも以下のような写経に重きを置いた実践的研究のやり方にシフトしています。
心経読誦の積算も5万巻で一時保留しています。
以下は、自己訓練と研究の一環で写経してきたものの一部
↓
( ※上記は、ごく一部です。記録を取って地道にやっていったら、辛いとかいう努力感は殆どなく、いつの間にか積算1000枚近くになっていました。
同調圧力が強いなかで、仕事の宴会などで、(お酒を全く飲まないことを)時に貶されたりしながら、お酒を控え避ける生活を続けるほうが< 比較すると >写経1000枚近く書くより遙かに内面的に辛かった印象が強いくらいです。人それぞれかもしれませんが・・。
いずれにしろ、こういう体験的事実からも、やはり天風先生の心身統一法の心の奥底の大掃除法を実践することによる意志力渙発法は、仕事などを含む実際生活で意志力や克己力を高めるのに、頗る優れていることが分ります。口述書などを通して原書に触れ心身統一法を知らず、心の深い層の大掃除を施し、心の特別なお手入れを継続してない根が薄れた流されるままの以前の私だったら、こういう小さな取り組みも継続できなかったと思っています )
3つ目のキーワード( トピック )の大祓祝詞を研究しているのは・・・
私が日本人だから、日本独自のものをやるべきと思ったと言うのが大きいでしょう。
あと、祝詞については心経と違って天風先生も、あまり研究なさってないようなので
それなら!!と、やってみたくなって取り組んでいる所が多分にあります。(-_-;)
なお
般若心経については100万巻読誦達成者のページを含め関連ページを含め体験者も多く、「 般若心経 100万巻 」で検索すると100万件数以上ヒットします。
上記リンクのように多くの方が盛んに心経の読経をしていることを彷彿させる検索結果に対し
大祓祝詞の読誦積算については
で検索してすら2021年現在、100件未満しかヒットしません。
極めつけは、心経だったら読経を沢山した方の経験談が、それなりにあるのに対し
大祓祝詞 は、「 大祓祝詞 1万巻読誦 」で検索してすらも体験者のページが1件も出てきません。
その道の神主さんとかだったら、修行の一環として、10万巻修行などをやってる方はいらっしゃるのかもしれませんが・・あまり聞きません。
本居宣長翁の功績は大きいですが、功績が大きすぎるゆえに、翁の祝詞読誦の累積に対するネガティブな見解の影響が大きかったのかもしれません。
ある意味では本居宣長公の見解に囚われなかったのが
黒住宗忠公ということも出来るのかもしれません。
公は田舎の神主さんの身で、その職をこなしながら、並行して、千度祓などを数多くこなし、とりなしによって公を無垢に信じるお弟子さんたちの周りで信じられない様な奇跡が起こっていたと聞いてますから。
何れにしろ私たちのような市井の方の体験談を見つけることができません。
以下は暗唱のために書写した大祓祝詞ですが・・・
大祓祝詞は古雅純朴な大和言葉から成っていて外国の言葉が混じっていないとされています。
歴史的にも日本人のアイデンティティの根幹をなすものと考えられ神秘的で尊い功徳があることは、ごく一部の方に知られてますが、もっと尊ばれなけらばならないはずなのに、一部を除き、累積させ体験を深化させる研究は、なぜか、あまり注目されていません。
ですので、全くの門外漢であっても逆にやってみようと思ったというのも大きいです。
読誦の際の注意点は、必ず肩の力をすっと抜いて上半身の体の圧を抜いてクンバカ体勢にし
かつ臍下7cm位の仮想空間を充実させ
目線を眉間の奥にしつつも充実させ温かくせしめた下腹から、囁き声程度で良いので声を出すつもりにすると腹力も養えてよいですよ。
Q,
>安定打坐を熱心に行修していたら聴こえるようになるとされるナーダ音ですが、ナーダ音と一般的な耳鳴りは>どう違いますでしょうか?
A,
明らかに違います。
一般的な耳鳴りで4〜5時間も、その音ならぬ音に心が誘惑・・魅了され、うっとり聞き入ることは出来ないでしょう。
ただ、これについては説明するのが難しいです。
お米を一度も食べたことのない外国の方に、お米の味を説明する以上に難しいです。
「食べて味わってみてください。」というのが、一番的確なアドバイスになるでしょう。
(以下略)