このサイトは著者のライフ・ワークの一つみたいなものでして
( 別に誰から頼まれたわけでもなく、ぶっちゃけ、こういうのを公開したからって、どうこうなるわけでもないのですが )
私の場合、ライフワーク的な取り組み( 研究の一環 )として
誰でもできる心の深いとこのクリーニングの方法の模索しています。
併せて無難なルート探しというのにも興味があり、
能力の飛躍向上の原理、原則( パターン )の発見に努めることも含めて
スクリーニングというのにも取り組んでいます。
今回サイトテーマである「お経や祝詞(の読誦、奏上)の積算1000回」については、
なぜ?こういうことに取り組んでるかと申しますと
先ず一つ目が
時に自己処罰観念が吾知らざるところから湧き上がり心を悩ませ反逆することもある巨大な力のある潜在意識領をなだめて、
その汚れをお掃除し苦しみや不幸の因果を未然(事前)抑止し未来の展開を変えるのに、
そもそも論として祝詞やお経の経文などを用いることが有効なのか?という事の吟味。
(ただし、これは、ある意味検証のしようがないですけど・・なぜなら、ここに書いているようなことを実践せず
内的な自己鍛錬をせず放置した場合にどうなっていたかは不明なため)
2つ目が回数を積算させていくことで
読誦を累積させる、その投入結果として
(後天的訓練で)
生命用具の脳神経回路のシナプス相互のつながりを
積極方向に脳の配線パターンが組み替えられ
下位の脳神経系を整えることで上位の感じせしめられる心に影響を与えることが出来て
積極に振れて流れやすいように心の働く基盤装置の脳神経細胞のシナプスの強化改善というのが可能か?という検討、吟味。
3つ目が、回数を積算させていくことで外界からの刺激に対する脳神経系統および末梢神経系の反応システムをも
深いとこから変容させることができるか?ということの吟味。
4つ目が、その実践プロセスで神経系統を鎮めやすくし呼吸を少しずつ深くせしめることに寄与できるか?ということの吟味もしています。
さらに3つ目の瞑想の土台の派生として
5つ目として、こういう地道な土台作り、神経系統をバイパスした尊い言の葉による心の浄化が瞑想を深めていく際に抑圧されている根深い領域に繋がってしまうリスク回避にもなるのではないか?ということの吟味。
( 高度な瞑想はリスクも伴うとされています )
さらに6つ目として
自身の醸し出すオーラと申しますか雰囲気もよりよく変え、想念のベースが変わることで生活を身ぎれいにする事が可能かどうか?ということの吟味も狙っています。
以上、6つの視点から自らを実験の被験者として実践研究しているということになります。
ところで
仏教はもちろん神道にも各派があるしキリスト教についても様々な宗派があります。
このサイトでは、いろんなお経の経文や祝詞を掲載してますが
当サイトは、それぞれの教え(宗派)の優位性を訴えるのではなく、共通点を見いだそうとするほうがよいというスタンスですのでご了承ください。
私は、フラットな立場でスクリーニングしてしまして
自身の判断で´無難´と判断したもので公開できる内容の一部を
自身を実験者及び被験者の立場でシェアしているということになります。
このサイトでは、先にも述べたように、お経や祝詞を対象にしていますが
メインに据えたのは、延命十句観音経です。
なぜなら、このお経は短く簡単でリズムもよく、
心も込めやすいということ。
そればかりでなく、このお経を薦めた白隠禅師ご自身が
自宗、他宗の隔てなく参究なさるとよい!と絶賛していること。
このことからも言えるように
宗派的な縛り(制約)が少ないこと等から
数多あるなかからピックアップしベースとしています。
併せて
延命十句観音経をメインに据えて数との関係などを考察していますが
このサイトは、上記の6つの視点から´ 日本人に合ったもの ´のスクリーニングおよび吟味
というのでやっているという以外では
以下のインドのヨーガの聖者が本でコメントした内容※
( 以下引用 )
「 魂を鼓舞するような言葉を繰り返し朗唱または黙唱することは
クーエ療法や、これに似た精神療法において、
有効であることが認められているが
その秘密は心の波動の質が高められるところにある。 」
( ここまで )
( 6つの視点などと、いろいろ能書き、御託は並べてますが )
結局のとこ、これは、誰にでも再現性のあるものかどうか?
これをスクリーニングしつつ<私自身を実験道具「被験者」にして>
実践検証してると言ってもよいかもしれません。
尤も・・理由は後付け的なとこがありまして、
私的には、そんな高尚なものでもありません。
私的には、どうせ呟くなら内語も含めて使う言葉は
愚痴や中傷、悪い言葉、穢い言葉を内心で呟いて心の波動を低くするより
こういう実践をきっかけに少しでも内語を積極にする機会(時間)を持つのは悪いことではないと思ったという事。
・・是非もない・・という念慮から実践しています。
ただし手法的には( 自身を冷ややかに見ると )自己洗脳的だな・・
それに現代科学がここまで発達してる時にお経や祝詞とか・・
お前は阿保なのか?!と自身をシニカルな醒めた眼で
ついつい見てしまうことすらあります。
ですが、( それを差し引いても )
ここに掲載した内容は、意識的に高速化し読誦を累積させるというだけの
極めてシンプルな内容及び方法でして
労力は幾ばく要しますが感じる心を浄め整える方法として基本的に多額のお金が必要というものでもありません。
自己陶冶を含めて山登りのルートはいくつもあるはずで
フラットな視点を保ちたかったので
日本人にとって代表的なものを選んだつもりです。
実践継続の動機付けや何らかの参考になれば幸いです。