延命十句観音経を広めた白隠禅師とは?天風先生とのゆるやかな共通点

 

日々の仕事で常に結果が要求されるビジネスパーソンにとって

 

会社組織において様々な部局の利害が複雑に絡まったなかで

 

変化を嫌うのは誰しも一緒で

 

さまざまなアイディアを着実に実行に移していくのは

 

大変な労が伴うケースが多いのは、よくあることですよね。

 

 

相当な根回しと高度な調整能力さらに場を落ち着かせながら意見をまとめ上げ
実行していく高度な社会性が要求されるというのは

 

組織の大小を問わず日常茶飯事のことです。

 

 

そういう高度な調整はもちろんのこと

 

世の中が激しく動いてるなかで落ち着きを保ちながら
優れたアイディアを形にする際の高度な判断力と調整力、社会性を発揮するために
GoogleやApple、Face bookといった世界的なIT企業では
宗教色を排したマインドフルネスという気づきと穏やかさを保つための瞑想を
仕事や私生活で活かすための研修が幹部を中心に執り行われるようになっているのだとか。

 

 

マインドフルネスについては昨今の企業ニーズをバックに
世界的な大学や研究機関で学術的で実証的な臨床研究も盛んにされており

 

ハーバード・メディカルスクールの研究者をはじめとする合同研究チームが発表した最近の研究によると
16人の被験者を対象に1日30分のマインドフルネスの習慣を8週間続けさせたところ
その変化の一つに「扁桃体領域の灰白質密度の低下」があり
瞑想を行わなかったグループは扁桃体の灰白質密度には変化がなかったという臨床結果が出されています。

 

 

 

これはマインドフルネスという只今にある気づきと

 

落ち着きを保つ瞑想を2ヶ月の間気持ちを込めて続けたことで

 

見えざる氣の働きかけが実際に

 

大脳内部の神経領域の扁桃体の領域を小さくし

 

器質的に不安やストレスが抑制されやすくなったと解釈することもできます。

 

 

それ以外にも学習や記憶能力、感情の制御などを司る脳の部位の機能が

 

アップしたことが科学的にも明らかになったとのこと。

 

毎日の「座禅」で不安やストレスを抑制しやすい脳神経ネットワークが構築され
その一方で能力に関わる大脳の5つの部位の体積が
事実として大きくなるという研究結果を報告しています。

 

 

このように坐禅の基礎である呼吸法と気づきと平安を保つ瞑想が
大脳を構造的、器質的に変えストレス解消に効果的で
「信じなくても効く」ということが
ストレス先進国アメリカで科学的に実証され
禅( ZEN )が世界的ブームになっています。

 

こういう功利主義的潮流は一部の方にとっては面白くないかもしれません。

 

ZEN( 禅 )とはそういうものではない!
ただ坐るというのが真髄であり大事なのだ!
と主張する方も多いとは思います。

 

それに、そもそも論として

 

ZEN自体が日本のお家芸なのに、お膝元のほうが無関心で

 

取り組む人も多くなく廃れてしまい

 

アメリカなど欧米の最先端企業の幹部のほうが

 

ZENをマインドフルネスとして現代的に昇華し事業経営に役立てて

 

さらにはアメリカを中心とする世界的大学でも研究され

 

日本に逆輸入してるとこが何とも複雑な気分ですが・・

 

 

たとえ、そういう事実があって、日本人は無関心であったとしても
ZEN( 禅 )がマインドフルネスとして宗教色を排した形で枝分かれし

 

科学的検証まで加えられ、現代化されて、

 

 

ここまで世界的に広まってるのは

 

日本人の一人として複雑な気分ながら誇らしい気持ちにもなります。

 

 

で、実は・・なにを隠そう・・

 

アメリカを中心とした先端企業で盛んに導入され
MITやハーバード大を筆頭に今や世界的な大学や研究機関で熱心に研究されて
日本に逆輸入の形で紹介されているマインドフルネスや

 

ZEN( 禅 )のルーツの一人になってる方が

 

今回のテーマの一つとした「延命十句観音経」を熱心に広めた

 

白隠禅師(はくいんぜんじ)、その人なんです。

 

 

この御方は江戸時代中期を生きた方なのですが

 

「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」
という歌まであるほど

 

500年に一人の名僧と言われてる方です。

 

 

禅師の歴史背景を俯瞰してみますと

 

白隠禅師が活躍したのは元禄の世でして

 

江戸時代の中期頃になると

 

仏教は檀家制度が固まって
幕府によって僧侶の生活が手厚く過保護的に保障され
そこに気概や迫力、緊張感が全くない。
僧達は安穏とし、だらけ切って修行や精進もしない。
民衆の中に入って積極的働きかけをしなくなり
すっかり自堕落化もして淪落もしていき腐敗していったと言われてます。

 

そういう退廃化し腐敗した背景もあって明治維新直後において
廃仏毀釈の機運を盛り上げて
明治から昭和の敗戦に至るまで国家神道、神道の国教化という動きを
当時の政府が作って行く流れと合流して仏教の退廃化が進んでいきました。

 

この動きが進むにつれ国家神道が先鋭化し国粋化しつつ政治のプロパガンダ化して
排外的( 排他的 )かつ攻撃的になって偏りを戒める仏教の絶妙なバランス感覚が棄損され

 

現実を無視した軍部が暴走していく背景になったとも一部に聞いてます。

 

そういう退廃的空気が仏教界に蔓延し
節操が無くなってドロドロ化し淪落化の兆しが仏教界に漂って腐敗した雰囲気下にあったにもかかわらず

 

 

 

 

白隠禅師は良師を求めて全国行脚しつつすさまじい気迫で修行をして
先にも述べたように新潟県のお寺で24歳にして自性を悟って法悦を得た後も

 

(オオカミが蠢く中で座禅したという伝説がある)正受老師に、真空無相を悟るのみで、さらに深い真理探究をしないでいる、その慢心を正され

 

その後の寝食を忘れた修行のあまりにもの激しさで
狂いと紙一重と申しますか・・
禅の境涯の一つの魔境に陥ったり
氣のバランスが崩れてノイローゼになったり
体も壊して結核になったり、いろいろあったようです。

 

そういう症状ものちに丹田呼吸で命を蘇生させ
晩年は神道にもゆるく近づき研究為さったそうですが
その後も禅の研鑽を続け
臨在禅を刷新し清新化為さった中興の祖という名も冠しておられます。

 

では、そんな名声が次第次第に轟くようになっていったから
さぞや左うちわの呑気な生活だったのだろうと私たちは思いがちですが

 

事実( 史実 )にフォーカスすると決してそんなことはなく

 

白隠禅師が住職になった当初の松蔭寺は
荒れに荒れて荒れ果てたお寺で、雨が降ったらお寺の中であるにもかかわらず
傘を差して歩かねばならぬほど雨漏りがひどくボロボロだったそう・・

 

お寺の生活だって決して楽ではない。

 

中年の頃にはお寺の食事の際に´ウジ虫が湧いた味噌´しかなく
そういう報告を弟子から受けた禅師は
味噌からウジ虫を除いたみそ汁でよいから
それを有難く頂戴すればよいと指示したこともあるほどだったという事実が伝えられています。

 

そういう慎ましい暮らしぶりでも禅師は頓着なく不満も持たず

 

恬淡とした生活を為さっていたという生活史実も遺っているのだとか。

 

 

 

 

白隠禅師の幼少から青年〜中年期までの略歴を辿るなら

 

禅師は、幼名を岩次郎といい、非常に感受性の強い方でして
幼い頃、地獄の絵解きを視聴して、死後の地獄の凄まじい様相に脅え
地獄から逃れたいという一念で
それが動機となって15歳で出家したと言われています。

 

そんな禅師でしたが良師を求めて日本全国を行脚し
昼夜を分かたぬ修行をしてたとされてまして

 

23歳の時に富士山のふもとの松蔭寺に帰って修行してるとき

 

富士山が大噴火した際には禅師は禅堂で坐禅をしていたそうなのですが

 

まわりの雲水や寺の人達もみんな外に逃げ出したのに

 

白隠禅師だけは禅堂内にあって動かず
周りの人が「外に出ろ出ろ!」と言っても
禅師は頑として聞き入れず坐禅をやめようとしなかったのだとか。

 

「 悟り開けず、大したことのない坊さんになる位なら、今ここで死んでも構わん!」

 

 そう誓って坐禅をしたまま動かなかったというのです。

 

 

その後も全国のお寺を行脚をして

 

新潟県のお寺で寝食を忘れて修行するなかで

 

24歳で遠くから鐘の音が響く音を聴いて自性を悟り頓悟為さったと言います。

 

 

 

 

 

 

その思想や生き方を門外漢の立場で追いかけるなら

 

白隠禅師は、考え方や振舞いが私のブログなどで
たびたび取り上げている中村天風先生と似てるとこもあると思ってます。

 

天風先生と被るところは

 

20代半ば〜30代前半にかけてひどい神経衰弱と同時に肺病にかかって
廃人に近い状態になってしまったというところでしょうか?

 

 

ただし、禅師の場合は寝食を忘れた修行のあまりにもの激しさで
そのような症状になったのは天風先生と異なってますけど・・

 

 

あとは

 

中国禅を昇華した形で和様化( 日本化 )したのと
悟りを身近な生活へ如何に具体化し落とし込むか?というのに心を砕いて
現場主義的で生活実証主義と言いますか
庶民にも届きやすい身近な形に砕いて伝えていったというのが似ています。

 

その一方で

 

直弟子は直弟子で、いかに立派にするか?
というのに力点を置いていたことでしょう。

 

 

もちろん、いくら白隠禅師が指導しても

 

お弟子の中には修行についていけず逃げ出したり

 

一生うだつの上がらないお弟子がいたり

 

修行のプロセスで廃人になった方もいた・・というのを噂で聞いていますが

 

優れた弟子を育成するという点でも白隠禅師は卓越していたと言われてますので

 

天風先生と似ていると思っています。

 

 

 

 

 

 

さらに

 

もうひとつの忘れてはならない天風先生とのゆるやかな共通点という点では

 

不思議なことに
この御方の言行録やエピソードを俯瞰するに
禅師はどうやらクンバハカを自力で体得なさっていたふしがあって
白隠禅師の門下には優秀なお弟子さんが数多く輩出されてますが

 

お弟子さんたちにも
口を酸っぱく「 事あるときには、肛門を締めよ 」

 

大事に出会った時こそ
肛門だけは緩めるなよ!と伝授していたとされています。

 

これについては

 

このたった一つの教えだけに徹した

 

禅師のお弟子さんのお一人が

 

嵐( 大しけ )に遭遇して難破し
肛門を締めて、そこに気持ちを行念( 凝念 )し
そのまま気を失い仮死のまま浜辺に打ち上げられ命拾いした逸話は
天風先生の本などでも紹介されてまして、とても有名です。

 

 

事あるときは肛門締めろとかバカバカしいと思うかもしれませんが
力仕事で重いものを持つ事がある時なども
肛門を締めてグッと腰に氣を集め満たしてクンバハカにして持ったほうがいいですよ。
たった、これだけでも体の耐久力は格段に高まります。

 

 

 

そういうの知らずに・・あるいは以前の私みたいに
肛門締めろとか・・なにこれ‥

 

 

俺はもっと高尚なのがいい!!と侮ってたら

 

 

 

都度・都度の神経反射の不調節のダメージがジワジワ蓄積され

 

以前の私みたいに

 

「朝起きたら劇的に腰が痛く半歩も動けない(どころか起き上がれない)」

 

神経すり減って血のしょん●べんってのもあったり、それ以外にもサイトに書けないようなことが
まあ、いろいろあったけど

 

 

 

腰をやってしまって歩くどころか立ち上がることすら痛くて出来ない・・

 

 

もう遠き日の思い出ですが

 

独身時代、少し腰に違和感あるな・・
というのを騙しだまし過ごしてたら

 

ある日朝起きたら腰が痛すぎて動けない・・
起き上がれないということになり

 

(当時携帯を持ってなかったので)
脂汗をかきながら布団から這い出て
赤ちゃんみたいに這って行く・・

 

しかも痛すぎて休み休みじゃないと進めない・・
這っていくスピード・・うろ覚えでは分速30p〜40cmで・・
たった数メートルに20分くらいかかったと思う。
ナマケモノって動物が、確か、時速16mと聞いてるので
奇しくもあまり変わらない。
タイムマシンがあったら、おそらくすごい絵になってたと思う。

 

 

 

そういうスピードで這いながら脂汗を滝のようにダラダラ流しつつ
何とか電話機までたどり着いて休むことを会社に電話する・・

 

 

 

ってなことになったりする場合だってある。

 

 

 

「 事あるときには、肛門を締める 」

 

 

こういうの、もっと早く知っておけば・・と・・
これを後で知って後悔した某知人みたいに
椎間板ヘルニアになって神経根ブロック注射という注射自体も
大の大人が思わずギャッ!と叫ぶほど・・恐ろしく痛いらしいけど

 

そういう治療を余儀なくされたり

 

痛みのピーク時には悶絶するほど激しく痛むことがある

 

腰痛の痛み止めの注射を打つ・・

 

なんてことから免れることが出来るかもしれない。

 

 

 

力仕事で重いものを持つときなども
肛門をきゅっと締めてクンバハカにして下腹に気を満たして重い物を持つのは
体の耐久力の面でも鉄則ですから。

 

 

 

このように白隠禅師は、250年以上前の方にも関わらず

 

現代人にも通用することを、簡単な形で教えてるとこもあります。

 

 

 

 

 

 

そういう実務的なとこもある方ですが

 

禅師は、決して凡愚が推し量れるような御方ではなく

 

内面を研ぎあげる事にも精励し「 生涯に大悟(だいご)18度、小悟(しょうご)数を知れず 」

 

という言葉を残すほど日々に妥協せず精神を研ぎ霊性を磨くことに精進為さって

 

1回悟って本然の自性を感得した後でも、さらに精進に精進を重ね

 

直弟子たちにも悟後の修行を熱心に説いた方と言われてます。

 

 

そうして晩年になればなるほど円さが加わり直弟子への指導はまことに苛烈、厳格で
自身が正受老師に指導されたごとく鬼軍曹であることには変わりませんが

 

 

 

ご自身は恬淡とした慎ましい生活をし悟後の修行はもちろん、そのご生涯のほとんどを
庶民に届きやすい使える生活禅の普及と庶民の教化と
当時の庶民の苦を除くことに最も心を砕いた方とも言えます。

 

その禅師が強く勧めてたのが冒頭に紹介した十句観音経でして
禅師は、このお経に強い信頼を置いており

 

臍下を意識して、圧を強めながら、このお経を、ただ敬愛を込めて唱えるだけという易行の割に

 

 

これは、歴史的由縁を辿っていくと観音菩薩から直受された尊い経でリターンが大きい!
専修念仏によって三昧に入り深まっていくことで
本然の自性を庶民が悟る( 見証する )機縁になる可能性があるばかりでなく
摩訶不可思議な霊験もある!ということから

 

 

このお経を庶民にも積極的かつ熱心に薦めていたということが事跡の研究から明らかになっています。