数の秘密とフォーカスポイントをずらすことについて

 

 

このページでは、ごくごく平凡な成果と申したらよいのか

 

100人実践したら40〜50人くらいは

 

実践前後で何らかの微かな佳いものを感じ、何らかの積極的なきっかけを掴むためにも

 

フォーカスするポイントをずらす必要性について書いてみます。

 

 

私の場合は超特的に優れたメソッドである心身統一行法を実践しながら

 

並行で右脳開発関係のメソッドのうち時間と根が要求されるものを中心に
追試的な事もやっています。

 

※そもそも心身統一法で意志力を煥発して根が蘇ってなきゃ
 こんな追試なんて到底できなかったと思ってますが・・

 

 

( そうは言っても、こういう分野に全く関心のない方よりは自己陶冶を兼ねて
取り組んできた自負は持ってますし研究もしてきたつもりです )

 

 

延命十句のお経の恩恵についても、いろんな本が出ていまして
これもマントラの一種と捉えて研究してきました。

 

この10句のお経については「 延命十句霊験記 」という本を筆頭に、
たくさん奇跡的なことを述べたものも執筆されており

 

そういった内容は、私も相当に読み込んでいて知っています。

 

 

ですけど、合理的な説明をつけられない
ごく一般の平均値を外れたような奇譚なことについては

 

この際そっと棚上げさせていただく方針にし

 

別のとこにフォーカスしたほうがよいという結論に達したわけです。

 

 

 

常軌を逸脱した御利益を先行させないほうがよい

 

ごく平均的で身近で確実で現実的なとこにフォーカスしたほうがよい

 

と思った大きな理由の一つは

 

 

このお経を熱心に弘めた白隠禅師という方は

 

幾世紀を経た今日において時代の洗礼にも耐えており

 

高徳の僧として評価されて、その評価も現代のほうが、むしろ高まっている方です。

 

 

ITの寵児であるスティーブジョブズも禅師を尊敬してたとされ
マネジメントの父と言われるピーター・ドラッガーも白隠禅師の禅画を好み
心乱れたときに白隠禅師の禅画を観て心を調えていたという逸話もあるくらいです。

 

 

 

 

そんな徳のある御方が80%または90%の確率で
大利益を得ずということは決してない!
今日に至って力を得るものは何千人という数を知らない!

 

 

 

と断言し、秘蔵の金文であると称賛している10句のお経と読誦の方法まで知って

 

非常にバイブレーションが高い気がする源流のなかの源流の書である
「 延命十句経霊験記 」をも直に読んだとしたら

 

あまりにも常軌を逸した御利益を体験した方も数多いるのも知ってしまいますよね。(;^_^A

 

 

 

こういうのって長い目で観ないとわからないとこがあるのに 

 

 

そちらに目を奪われ過ぎたら

 

人によっては感覚や消極感情に縛られた我儘放題になりがちな´我´が

 

目指す結果を握りしめ先鋭化させすぎて執着してしまうでしょう。

 

 

 

( 我が結果を握りしめたら大局的な眼が失われてしまい )

 

 

 

一生懸命に信じてやったのに、なんらの効験も得られない・・

 

当てが外れた・・と勘違いする方も出てくるかもしれません。

 

 

 

 

そうなってくると恐らくガッカリする方も出てくると思うし恐らく寂しいでしょう。

 

これが、万人に1人というような奇譚現象にフォーカスしないほうが善いと思った大きな理由です。

 

 

 

 

 

推定の域を出ないけども白隠禅師が九州のある有力大名にあてた手紙のような
世間のコンセンサスを超えたような奇譚なことが起こるには、いろんな条件が重なり合い
全てのピースが揃う必要があるのでしょう。

 

霊験記をきちんと分析しきれてませんが

 

ふしぎな奇譚が起こるには、

 

 

絶体絶命とか

 

命がけの決意とか

 

 

あまりに強い痛みを伴う自我放棄

 

周囲の協力と団結

 

 

というのもキーワードになってくる気がします。

 

 

 

 

それに、そもそも論になりますが

 

 

奇跡なんて、そんな闇雲にポンポン起きない。

 

だから奇跡というわけです。

 

 

 

 

そういうのを期待してない方も、

 

 

そういう奇跡は棚上げし

 

 

白隠禅師の言葉を信じることにして、何かあるに違いないぞと思って

 

心をオープンにして実行するのはよしとしても

 

 

 

これを心を込めて念誦して累積し得られる個々の体験も千差万別だと思うし

 

長い目で観ないとわからないこともあるし

 

正直、謎( エニグマ )だらけなとこがあるのは否定できない。

 

 

 

私みたいに、どこか冷徹で醒めてる人間でなく(;^_^A

 

 

白隠禅師を心酔し心底尊敬し全入して打ち込んでいるような・・

 

その道の専門の方が、これを読んだら

 

 

 

「 お前は、高僧中の高僧と言われた白隠禅師が実行したら十中八九で
大利益を得ずということは決してない!

と仰ってる方法を信じないのか!愚弄するのか!
奇跡に条件など付けるな!
それに、仏門にも入ってないような輩が、いい加減にやるな!
この身の程知らずの素人が!!(# ゚Д゚)」

 

と・・喝を入れられ、お叱りを受けそうでして、

 

 

このような取り組みはある意味では、素直ではなく

 

不遜なのかもしれませんが

 

 

なにぶん謎( エニグマ )が多い方法です。

 

 

 

 

 

もちろん可能性や成果に対して心を無防備、オープンにして
成果にこだわらず行為自体に誠心誠意、観念集中し打ち込む形の実践をして

 

内災を免れるために心の振動数( 心の力 )を高める

 

というのが態度としては、よいやり方とは思ってまして

 

 

もしこのサイトをきっかけに、これを実行する気になる方がいて

 

信じて一生懸命にやっても

 

あまりにも我儘で感覚や感情に縛られた我(エゴ)、我欲が出過ぎてしまった場合は

 

 

大きなお導きに任せるという大きな視点が欠落しがちになります。

 

そうなると自分本位の我儘放題な我欲由来の「 当て( 結果 ) 」を握りしめて

 

我欲の願いのとおりにならなかったという判断になる場合だってあり

 

「 当てが外れた・・なんだクソッタレ!!」という形になる可能性だって否定できないわけです。

 

 

 

そういうことが起きるケースだって無きにしも非ずである以上は

 

サイトにアップした以上私もそれは本意ではないですから。

 

 

 

 

 

 

ですから、その道一筋の専門家の方には悪いし

 

私は仏門に入ってるわけではないし

 

奇跡に対し素直ではなく、ひねくれてるかもしれませんけど

 

さっきから強調し繰り返し述べてるように

 

別の、もっと身近で些細で地に足の着いた現実的なとこにフォーカスする。

 

 

 

どこにフォーカスするかと言いますと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

危機的状況ではないけれども

 

自分自身の人格内容をより磨いて精神性を研ぎ高めて

 

腹( 丹田 )を練って丹田に気を鎮め易くしていくために

 

 

あるいは

 

私たち一人ひとりの心内をルーペで覗くように注意深く覗き込んだら

 

そこには、さまざまな想像、連想と欲望と衝動、相克、葛藤含め

 

様々な感情や衝動が入り交じって

 

心内の仮想空間でごった返していることが観察できますよね。

 

こういった情動、衝動のうち

 

内なる災いが時に私たちを襲い

 

(時に)怒りや怖れ、憎しみ、愛欲などが湧き上がり

 

私たちは、そういった消極的感情や衝動に振り回されちで

 

それを放置し温めて取り締まれなかったら

 

タイムスパンを経て外なる災いにも見舞われてしまう

 

 

 

 

こういった因果関係もまた当たらずとも遠からず・・ということを

 

仮に私が指摘したら

 

 

それを無下に否定できないとこもありますよね。

 

 

 

そういう禍根をもたらすような欲望や衝動が仮想空間内で蠢いてるなかで

 

 

 

 

 

心を巡るさまざまな思い、連想観念の流れを不可思議な安ど感に繋げて

 

心を純化し心の主人として取り締まるために・・

 

 

ということで、私みたいに、仏門に入っていない門外漢であったとしても

 

とにかく実践なさる方がいたとしたら、こういった実践の積算が

 

心内を放埓にせず取り締まる際の幾ばくかの助け( きっかけ )になると私は踏んでいます。

 

 

 

さらには

 

物に動じ難くなる丹田強化を含むクンバハカの条件付けのきっかけ、
コンクリーティングという点や脳が馴れるという視点からも

 

最低でも、´理論的に説明できる´という形で

 

合理的な範囲内の科学的ご利益は得られる´最低保証´みたいのだけは
いくら専門で仏教を学んだことのない門外漢でも、
私のほうでナビと言いますか庶民視点で誘導付けくらいはできる
と思っているんです。

 

 

 

 

最低の保険というのは事実として私自身が能力開発の切り口に
実験工学的なアプローチを試み
能力開発と変性意識の遷移というので、心身に過大な負荷をかけない馴らすやり方の実践を累積させてて

 

( 門外漢であるがゆえに )

 

ふと気づいた「( 合理的なもの )として説明できるユニークな恩恵 」

 

 

というのがあって、これなら個人差は多少はあっても

 

とにかく丁寧に少しずつでも心を込めて、じわじわ継続してやれば
この道一筋でなくっても、ある一定の再現性を
ある程度までは合理的に確保できるだろうと思うからです。

 

セーフティネットと申したらよいのか・・

 

とにかく説明のつかない1000人、万人に一人というような

 

宝くじに当たるより難しいような奇譚は、そおっと棚上げさせていただき

 

フォーカスするポイントを別のとこにずらしてやる´その別の視点´というのは何か?
というのについて次に、より詳しく書いてみます。

 

 

それは延命十句観音経を脳を少しずつ慣らし最適化させながら
集中してクンバハカした丹田に向けて深層筋を動かしながら気を込めて1000回の累積読誦するというのが

 

物に動じにくくなる丹田意識が練られて、かつ、心誦スピードも突沸的に速くすることもできるようになって
ある澄んだ意識領域に入りやすくなる。

 

一連の集中的積算行為によって奔放になりがちな衝動や想念の流れを制御的に恬淡とさせ
落ち着き安堵せしめる方向に向かわせる
一つの分水嶺になるという直感があるってことです。

 

 

 

また

 

 

これを深層筋を動かしながら意味をかみしめながら累積させ
神経系経由で心を耕すことで心の波動の質が高まって
体にも響いていき生活にも静々と波及していく。

 

 

 

 

これだと心身相関の原理から合理的に説明できる類の

 

決して平均値を外れず

 

かつ

 

実践前後の変化を確認しやすい・・・

 

100人中40〜50人くらいは実感できる範疇の

 

精神身体科学的かつ現実的功徳でして

 

これなら届きやすく身近で確実で現実的。

 

1000回の累積で何らかの兆しを感じたのなら、

 

継続していけばよいし

 

全くかすりもしなかったのなら、保留をしたらよい。

 

誰に責任転嫁することもなく
その後どうするか?を自分で決断できる材料になると思えるからです。

 

 

 

 

それに、連想を取り締まるということに注意を向けるなら

 

仏教に浅学で、仏門に入ってない

 

( 入る気のない )私でも仏教とは無関係のところで説明ができる。

 

なぜなら

 

心と体は決して切り離せない。

 

だから体からのアプローチで心を制御するルートもありますが

 

普段の生活で心の場で想像し連想する、思い浮かび去来する連想そのものが
少しずつでも穏やか朗らかで綺麗になって、落ち着き安堵せしめるものになり

 

心を働かせる動きが安寧をもたらす方向に向かうようになって

 

心の波動の内容が、騙し合いや憎しみ、恨み、苦悩
怖れ、怒りに覿面し、いらいらし不機嫌極まりないという

 

波動状態が実に低い状態から

 

( 紆余曲折を経たとしても心を込め思いを込めて念誦し積算させることで )

 

少しずつ、そういう状態から離れて心の力(心の振動数)が高まっていけば

 

体や日々の生活に悪い作用があるわけがないですよね。

 

人それぞれ様々な事情を抱えてるわけで

 

もちろんウィルスや細菌などに罹患したら
肉体方面から体調を崩して病になるってこともあるけども

 

悔しい思い、あまりにも辛く口惜しかったこと
心に抱えた誰かへの根深い憎しみや激しい恨み、妬み、怠け心
忘れることのできない怒り、強い憤り、恐れ、不埒な思い
自分本位の愛欲、悶え、恥辱、深い悔恨や自責
過剰な独占欲等の

 

鬱屈した暗いものを長く抱きかかえ、思い通りにならない根深い不満等を抱え

 

囚われたままにして、そういうドロドロした波動の低い念の虜になってたら

 

 

あるいは

 

思わぬ誤解から憎悪や敵意を向けられたままだったら

 

それが肉体生命を活かし精神生命ともリンクしている植物神経の絶妙な働きを崩して

 

本来秘蔵している強い運を飛躍させることを阻むことは十分考えられます。

 

 

 

そういうことになってたとしても

 

 

 

お経が目指すとこのものに氣を向けてやって

 

 

 

緊急でない方であっても、無理なくゆったりとした気持ちで
自他の健康や幸福を祈願しながら心を込め、気を打ち込んで実践することで

 

心が純化されて心の持つ振動数が高まり

 

純化精錬度合いに応じて

 

似た純な何かを引き寄せるようになって

 

内からの災いを免れる癒しをもたらす清らで軽やかなものが入りやすくなり

 

安堵をもたらす積極的連想が、心内をめぐり流れやすくなったら

 

 

そりゃあ・・当然のこと

 

心−神経系統−身体の、それぞれの相関の原理・原則から

 

そういうドロドロしたものから離れやすくなってくるはずで

 

充分に損得勘定でき

 

 

実践前後で

 

手に届く範囲の100人中40〜50人くらいは実感可能な

 

´平均値を決して外れない現実的功徳´を

 

日々の身近な生活で得ることにつながり

 

 

運命を阻むものや健康を損なうドロドロした思いから離れることが出来

 

本能を剋し心身を軽やかにし自己陶冶への弾みが出来る・・ってのは

 

心−神経系統−肉体の相互の響き合いの相関の原理を知ってる方でしたら

 

地に足の着いた確実な形で想定できる恩恵ってことになりますよね。

 

 

さらに、そこに

 

物事に揺さぶられ難くなって氣が発散され易くなる、
どっしりしたクンバハカ( 丹田 )への意識付けと

 

丹田を鍛えることが数稽古で施されていくという特典が付けば、

 

さらに損得勘定も拍車がかかる方もいるのではないでしょうか?

 

 

 

そういう面で、この十句のお経・・白隠禅師に言わせると秘蔵の金文として貴重視されてるお経

 

このお経はリズムがよく丹田に圧も込めやすく、しっかりしたやり方ではなくても

 

 

神経生理を含めた好ましい変化を感じられやすいというのがあるように思います。

 

 

腰を引きながら腹を出し肩を弛めグッとクンバハカし氣海丹田の寶(宝)所に向けて
唱える際に丹田の動きを意識して有我一念で少しずつでも早く心唱できるよう数を累積させて

 

考えなくても口をついて出てくるくらいにして丹田に向けて言霊を打ち込んでいく。

 

そうして観念集中させて積算させていくと1000回を越える辺りで丹田の動きも感じられ
脳の前頭前野が馴れて不思議に読誦( 念唱 )スピードがバカっと数倍に跳ね上がり

 

 

 

いったん、これに入りやすくなると、心を切り替えたりしやすくなったり

 

ある積極的流れの起点になる。

 

 

 

 

脳( 前頭前野 )も活性的に最適化されて

 

心象空間に描かれ浮かび去来する連想も晴れやか、軽やかな形で固まって

 

 

 

前述したように、気持ちを積極に振り向けるきっかけになる氣がしています。

 

 

これなら100人中40〜50人くらいは微かな実感を得れて

 

精神身体科学的に説明できる功徳として扱えるもので
何らかの手ごたえを生活に感じたら、さらに実践を深化させるのもよいし
自他の健康や幸福を祈願しながら、さらにこのお経の積算を継続させていくのでも良いのではないか?・・

 

 

 

 

 

 

臍下3寸周辺の丹田まわりの深層の深い筋肉も鍛えられ

 

気も臍下に鎮まり易くなり神経過敏でなくなり

 

物に動じにくくなるというのも当然肉体現象として生じてくるでしょう。

 

 

 

 

 

もちろんこれだって、ナビがなく、ただ漫然と暗中模索でやるのでは
おかしなことになったり10代の頃の私のように挫折する方も多いと思っています。

 

( 実際、高校生の時に私自身が類したことを実践し挫折しています )

 

 

 

 

 

これには背景も書かないといけないので

 

ほろ苦い挫折体験のひとつを已む無く書きますが

 

 

 

高校時代の受験勉強で学ぶのは好きだったんですが
主に環境面のことで、一般的高校生が悩まないようなことに悩まないといけない環境上の事情があって
勉強する時間確保の点で、かなり難しく厳しい状況にあったので

 

切羽詰まってしまい

 

勉強時間が限られてて

 

どうしても´地頭そのもの´をよくしないといけない!!

 

という気持ちに駆られ

 

ある本を読んだことがきっかけで地頭を良くし脳を活性化するのに

 

「 不動真言 」がよいと書いてるのを知って

 

 

とにかく無茶苦茶・・闇雲にやったことがあるんです。

 

 

 

ですが

 

 

 

当時5000回くらいやった記憶があるけど
地頭が良くなった実感は皆無だったし

 

丹田が練られ、かつ脳が活性化され連想観念が綺麗になった感覚も全くなかったんです。

 

 

 

けれども、そこに段差を埋めるための庶民的なガイドがあり、

 

かつ意識するポイントが明確で

 

丹田の動きを意識し、肛門を引き締め肩の力を抜いて

 

気を鎮めやすくすることや

 

実践を深化させることで不可思議な安堵を感じるようになって

 

心に去来する乱れがちな連想が調えられ
心の中の好ましくない性質が少しずつ削がれ綺麗になって
見えざる心と繋がった神経系統が良い意味で心地よい形で活性化し
人間本来の好ましい性質の方が強められていく実感があるか?
確認する作業を入れたりすれば

 

五里霧中で、無茶苦茶、闇雲にやるよりは、おかしなことになるリスクもなく
投げ出す方も少なく
実践した方の40〜50%くらいなら何とかなるはずで平凡だけど確率的に確実なはず。

 

 

 

また、必然的に見えざる心と見える肉体を一つにまとめて
気を打ち込んで実行すれば丹田開発も施され
クンバハカへの条件付けが数稽古で熟練的に為されて
以前よりは咄嗟の時とかに気を丹田に鎮めやすく
恬淡としてきて事柄に動じ難くなっていくはず。

 

 

健康面から観ても白隠禅師は「 気海丹田に 主心がすめば 四百四病も皆消ゆる!」
「臍(へそ)の辻から二町下つねに気海に氣をおけ!」とおっしゃっています。
高徳の僧として名高い白隠禅師のご指摘に限らず
神仙道などでも気海丹田は万能薬が生まれる泉とされています。
気功関係の専門家なら誰でも知ってるように・・

 

ですけど、これがよいと知って信じれて

 

 

 

クンバハカで下腹に氣を鎮める訓練をすることや氣海丹田に意識を置いて
肛門を締めつつ肩の力を抜き去って丹田の圧を上下から高めて
霊気を充満、発散させて喜び( 不可思議な安堵感 )に接続させながら実践し丹田を鍛えるっていうの・・

 

理屈では、よいのは頭でわかってても地味すぎて簡単すぎて

 

 

何かないとできないってことになる方も多いでしょう。

 

 

 

 

 

なので、こういうのと抱き合わせでやると続けやすくてよいというのがある。

 

 

 

 

 

なお別にこういったクンバハカにして霊気を充満させる条件付け( コンクリーティング )と氣海丹田への意識付けや圧を高めること自体は
般若心経の時でも習慣性を応用させながら節目をつけつつ実践して
やり方によっては、それが習いになるというのは実際の体験で私自身も確認できてますし

 

 

 

大祓祝詞の時でも心身統一して奏上する際に
氣海丹田を併せて意識するようにして奏上していって
1000回前後の累積で意識が、すとんと下がって気持ちも鎮めやすくなり
純粋意識の近傍にスッと入りやすくなると言ったらよいのか
急激に暗唱( 念誦 )スピードが上がりました。

 

 

私の場合は、天風先生の心身統一法に出遭う以前は

 

( 就業してからは特に )色んな事にあまりに苦しくって

 

地獄の6丁目みたいな心境に陥り

 

出口のないブラックホールを彷徨い喘いでたことがあり、

 

それすら越えて感情が死んで麻痺し能面になってたことがあるんですけど

 

 

そういう心境かつ現実的な苦境も

 

心身統一法の実践で突破できて以降は

 

もはや拾い物・・オマケみたいな人生だと思ってるんで

 

壮大な実験としてやってるだけ・・みたいなとこがあるわけです。

 

 

そんでもって

 

高速読誦での累積の実験は私自身も実際に確認してまして体験しています。

 

 

 

で・・なんでこんなことを書いたかと言いますと、別に自慢で書いてるのではなく

 

 

 

単純に天風先生の口述書(「 成功の実現など」にもあるように
心を鈍らにしちゃいけない・・一つ一つのことに気を込め、はっきりした意識で応接し
心を研ぎ、使いこなす必要がある・・

 

 

そういう点で奔放になりがちな心の動きや連想の流れを積極に流れやすくするように取り締まり
観念の集中力を磨くことにもなるだろうからというのもあって・・

 

建設能造の氣が出易くなるクンバハカの訓練になると思い習慣慣性を応用させながら
自己陶冶にもなるだろと思って続けてるだけってのがあります。

 

 

 

 

 

尤も・・般若心経とか観音経普門品・・はたまた大祓祝詞は
それはそれで、ひたむきに為さってる方には
凄い功徳がある方もいらっしゃるんだと思うけども

 

 

 

集中力を磨き、ある意識領域に、スッと入る微かな手ごたえを感じることや
クンバハカのコンクリーティングや丹田の圧を高めて
日々の生活で奔放になりがちな連想を少しでも積極に流れやすいように取り締まって
咄嗟の時に気を臍下に鎮めるのが反射的になって物に動じにくくするというのが一里塚の目的だったら

 

 

 

心経や大祓祝詞を心身統一し1000巻読誦するより

 

 

 

 

「 延命十句観音経 」これを気海丹田の寶所に向けてクンバハカで集中しつつ
感謝の気持ちをのっけて一心に1000巻まで累積させる読誦のほうが、丹田への意識付けをしやすく
氣を込めやすく、日々の生活で内界の想像( 連想 )の流れも
制御的に綺麗にする手ごたえや兆しを感じやすくきっかけを得やすいのじゃないか?

 

 

それに・・・

 

 

出来るだけ、いいことを想って良い言葉を沢山使う。

 

悪い言葉は使わないようにする

 

 

ってのが言葉を操っている万物の霊長たる「 人 」として大事だからと思ったって

 

私だけかもしれないけども生きてたら、まあ呆れるくらいいろいろあるわけで

 

雰囲気に圧され流されかけ、想像力を取り越し苦労に向けてすり減らしたり
さまざまな出来事に遭遇する中で翻弄され

 

内省検討しつつ連想を勇気凛々積極の流れのほうに取り締まるのは

 

案外に簡単ではない場合もある。

 

 

 

それならいっそのこと良い言葉の代表格で1500年以上の伝統のある
「 延命十句観音経 」を日々の生活で意識し
黙唱でもよいので、歩きながらでも、あるいは、ちょっとしたスキマ時間にでも沢山使って
奔放になりがちな連想観念を少しでも制御的に尊くできて
咄嗟の時に現れる本音や本性も少しずつ、その傾向性を尊く強く変えられたら
それに越したことはないんじゃなかろうか?

 

私は現世利益的な事の機序はよくわからないし

 

欲づくでやってるわけでもないんだけど

 

 

「 延命十句観音経 」は、よい響きのお手本のような言葉やろ・・

 

という、個人の事情とニーズに沿った、ごくシンプルで
地に足の着いた発想も、そこに含んでることになります。

 

 

丹田開発という点でも事実として十句経は韻を踏んでいてリズムがよく労力も少なく

 

ある意識領域に入る微かな手ごたえを感じやすいし

 

どっしりしたクンバハカ( 丹田 )への条件付けと丹田を鍛えやすいのは
実際私自身が(  ライフワークみたいなもので面白いからやってるとはいえ苦労して )
言いっぱなしではなく実際に本当に実践し体験した上でも、それは確信をもって言えるからです。

 

 

ここで少し考えてもらいたいんですが

 

 

脳の活性的最適化とある意識へのシフトへの
微かながらでも確実な手ごたえと丹田
( クンバハカにしたときに引き締まる仮想空間 )への条件付けと
神経過敏ではなく、どっしりした落ち着きが出てくるクンバハカの
深い意識でのコンクリーティングの数稽古というのを考えたとき

 

 

 

大祓祝詞1000巻をクンバハカで心身統一し持続的に読みなさい!それで達成できます!

 

 

 

あるいは

 

 

 

般若心経1000巻をクンバハカで心身統一し持続的に読みなさい!それで達成できます!

 

 

 

と、ある方から指南されたとして

 

 

 

もちろん、私以上に真剣にされてる方のほうが遥かに多くいらっしゃるはずで
そういう方々に比べたら私も熱心な方ではないのですが

 

 

 

大祓祝詞の場合でも暗唱できたとしてもボーッとただやるだけだったら8分×1000回=8000分 

 

 

 

133時間もかかります。

 

 

 

般若心経の場合でも暗唱できたとしても、ただボーッとやるだけだと3分×1000回=3000分

 

 

 

大祓祝詞ほどは時間はかかりませんが、それでも50時間もかかります。

 

 

 

実際に私は、検証しながら、やったので、わかるのですが

 

ライフ・ワークみたいなものとはいえ案外と大変です。

 

 

 

しかし

 

 

 

延命十句観音経の場合は暗唱するのも早く覚えられるし
初期状態では30秒として

 

 

暗誦速度が速くならないという見積もりでの計算をしても

 

0.5分×1000=500分 8時間でよいことになる。

 

8時間なら、1日15分から20分を少しずつ累積させて
忙しいあなたでも、なんとか工面( 確保 )できるのではないでしょうか?

 

 

 

もしあなたが今回の方法に何らかの微かな手ごたえを感じて後年大祓祝詞で実践するにしろ、その他のものでやるにしろ

 

 

 

こういうやり方もあるのを知って実践する際に

 

 

 

脳が速さに慣れて最適化されるのと気海丹田に気をすっと鎮める感覚を体認し日常に溶け込ましやすくするのにも
この延命十句のお経で最初に実践するほうがよいと私は思ってます。

 

(  私の場合はスクリーニングしてる関係で
後の祭りということになったわけですけど・・・
なぜなら白隠禅師は氣海丹田をとても大事にしておられた方で
その方が、この延命十句観音経が庶民にはよい!と大断言し言い切ってるので )

 

 

 

 

 

また「 数の秘密 」という点や流れを作るということについても

 

1000(や1万、3万)という数字には秘密があると思ってます。

 

 

 

 

 

特に1000という数理については

 

 

なじみ深い諺にも石の上にも三年( およそ1000日 )ってのがありますし
千里の道も一歩からというのもある。

 

 

 

あるいは

 

 

 

千本ノックとか千日回峰行とか千にまつわる数字は割とよく出てきて

 

 

 

千という数字は成就を表し
そこに導く数の積算された「到達点」という意味合いで使われてるケースが多いですよね。

 

 

 

私が今回重要な文献として引用させていただいた
「延命十句観音経霊験記」のなかにも
一心に千回誦せ!と「 1000 」という数字が6回も出てきます。

 

 

 

1000回というのは能力開発や神経システムの再構築

 

さらには心のベルトコンベアを流れ行き交う連想、想念の流れを
制御的に尊く変えるためのきっかけを与え
馴( 熟 )らせる上でも何か秘密があると思うのです。

 

 

尤も、これは心身相関と精神科学の関係で合理的かつ科学的に説明のつく恩恵ということですけど・・

 

 

 

 

作法とかよく知らなくても、氣を込めて尊いお経を繰り返して
少しずつ集中し暗唱スピードを上げていったら「 脳自体 」が速いスピードに適応し慣れて
最適化するのと、クンバハカの深い意識のコンクリーティング

 

 

 

さらには、その´ある喜びを伴うしっとりした意識状態´にスッと入る
何らかの微かな手ごたえや丹田の圧を高めるだけでも
真剣に実践を繰り返し積算為さった方については

 

最低の保険として得てほしいと思っているので
実体験上のデータも掲載しておきます。

 

 

 

 

 

以下は、延命十句観音経を一回唱え終わるのにかかっていた時間と回数の関係です。

 

 

 

自分自身を実験サンプルにして、他人のように客観評価していくしかなかったのですが

 

少しずつでもこれまでの能力を超える負荷を少しずつかけて脳を馴らし最適化させながら
集中しつつ発する言葉に尊敬をはらうようにし毎日暗唱スピードを高めようと思い記録を取ってやっていったところ

 

最初は20秒以上かかってたのが累積1000回( 1000巻 )を越えるころには

 

眉間を涼しくしつつも心(気持ち)を気海丹田に沈めて
置き込めるのは全く変わりませんがある意識領域にフッと入り
声帯を震わすのではない下腹( 丹田 )で深層の筋肉で高速暗唱するという形で
数秒で唱えられるようになっていました。
クンバハカの稽古にもなって定着しやすく、深層筋も鍛えられ丹田開発にもなる。

 

結果的に、心のハイウェイを行き交う想念の流れを尊く変えるきっかけを与えて

 

 

気を鎮めやすく、どっしりとした気持ちになる。

 

 

これは心身相関の原則上、合理的に心を鎮めるので

 

理論上も説明可能な損得勘定できる功徳でして

 

心、脳、身体は独立した存在ではなく

 

相互に響き合ってて密接な関係にあり

 

心に思い描かれ脳裏に浮かぶことが

 

脳の働きに反映され

 

それが現象として神経系統を経由して身体( 氣血 )に影響を与えるのは

 

辛く苦しい想像、連想をし、それがリアルであればあるほど

 

即座に・・物の声に応ずるように顔が青ざめたり
脈が速くなり心臓の鼓動が速まったり
胃がきゅーーーっと締め付けられたりすることで

 

確かめられますよね。

 

 

卑近な例では

 

 

レモンを生でかじって食べるとこを思い浮かべたら

 

唾液が出るでしょう。

 

 

 

 

 

白隠禅師の霊験記にあるような論理では到底説明不可能な

 

形而上のことも巻き込んだ奇譚なことが、なぜ起こる場合があるのか?

 

特に、「 霊験記 」にもあるように
百薬効かず医者が見放したような病を患った方のために
そのご家族や近親者が何千回、何万回と唱えて

 

その病気が消滅してしまったという逸話については、さらに輪をかけて分析しきれていません。

 

 

 

 

ですが、このお経を本人が心を込めて累積させることで

 

心内において思い浮かぶ連想の流れを制御し

 

とほうもない癒しと安心を与える清々しい連想として

 

内界のハイウェイを流れる連想の流れというのを
立場に合わせて寄り添う慈悲の権化とも云うべき観音菩薩の見えざるバイブレーションと繋がりながら

 

明るく尊い方向で制御されていくことが少しずつ出来るようになっていけば

 

ひとつひとつを丁寧にし日々をどんどんよくしていくぞという気持ちも作られて

 

これは説明可能で手の届く合理的かつ科学的恩恵として扱えると思っています。

 

こんなことを門外漢が書くと専門の‥この道一筋の住職さんに

 

お前は何もわかってない!!と怒られるかもしれませんけど・・

 

 

 

 

それに実践の初期は4000回、5000回・・ましてや3万回なんて途方もないと思うかもしれません。

 

そうなんです。最初は途方もなく感じるんです。

 

最初の100回〜150回は
15分から20分程度が1区切りの形の実践で
有我一念で気を込め注意集中し1回唱えるごとに´爪楊枝´を1個置くやり方でやっていってたんですが

 

その時は1回唱えるのに平均30秒近くかかっています。

 

たった150回唱えるのすらも1日15分から20分という枠で実践し
75分( 5日くらい )かかってた。

 

ですが、クンバハカにしてから腰を引きながら腹を前にだし首の筋肉をほぐして脳に酸素が豊富に巡るようにしたり
体を揺らしたりして息の通りを調整し
肩の力を含めた上半身の脱力を丹田( 下腹 )にストンと落としてバランスさせ
定着させつつも少しずつでも速くというので定着と慣らしを織り交ぜ少しずつ無理のないかたちの負荷をかけ
気持ちを丹田に気を込めて有我一念で時間を区切って、´この時間だけは´という形で
日々地道に只管に数の累積をさせていったところ

 

1000回超えるか超えないかくらいのとこでは
気持ちを込めて言葉に尊敬を込めて心身統一してやっていったら
( 当然尊敬の気持ちは出る(;^_^A500年に1人の名僧が大事にした尊いお経なので(;^_^A )
体も脳も馴染んでて、すっと深い意識に遷移し
無我無念に近似した深い領域に入り暗唱スピードがバコーーンと跳ね上がり
同じ75分の時間で、機械的ではない
リラックスをし安心しつつも気をさらに込めた1000回読誦( 心誦 )が、できるようになってる。
出る息でも入る息でも呼吸を乱さず余念なく適度なリラックス状態で
高速で唱えられる・・
そうなってくると1日15分という枠での実践でも5日程度で1000遍を満たせる。

 

このときは、読誦スピードが超高速になってたので15分から20分を一区切りに
心の中で指折りし10回ごとに´爪楊枝´を1個置くというやり方にして実践していました。

 

最終的には、そういうのもせず、この時間だけは余念なく集中するというやり方で
平均速度から勘案して数を出すというようなやり方にしていった・・と申しますか・・

 

さらに速くなって馴れてからは、歩きながらとか、ちょっとした時間を利用して唱えるようにしていったというのが
あくまで私の場合の少し創意工夫した点です。

 

 

 

延命十句観音経でも白隠禅師の霊験記によると
1000回というのが一つの回数の目安になってまして
白隠禅師の手紙を仔細に検討すると次が3000回、さらに1万回
3万回という数字が、手紙の中に、ちらついて出てきます。

 

※白隠禅師は、「霊験記」でお上が1万回読誦することを民衆に義務化させればよいとさえ述べています。

 

 

 

これは私のような普通の方が言ってることではなく

 

 

500年に一人の名僧と謡われた御方がコメントしてることですから

 

この数字に何かはかりしれないものを秘めさせてるやもしれません。

 

 

いずれにしろ形而上の奇譚は、発動条件がいろいろありそうなので、そっと棚上げし

 

個人でやる際は最初の節目として「1000回」を目標にクンバハカにして地道に丹田に氣を込め一念を込めて、このお経を読誦し
少しずつでも暗唱スピードを上げる負荷をかけて
回数を累積させたら、1000回前後くらいで、気持ちを下腹に鎮めやすくなり
ある上質な喜びを伴う意識領域にシフトする微かな感覚を得やすくなるし

 

このお経に気を向けさらに、心地いい気海丹田まで気を鎮め圧を高めて
この温かいとこを意識し有我一念で集中することで集中力も養う。

 

 

朗誦または黙唱することで魂を鼓舞し心を明るい気持ちにする句を繰り返すことで
心の深いとこのお掃除をし深い呼吸を養い
心に描かれ脳裏に浮かぶ映像をはかりしれない癒しに満ちたものに変え
流れを変えれる可能性もある。

 

少なくとも脳が言葉のフレーズに馴れて下腹に氣が鎮まり易くなって
暗唱スピードに突然の爆発的変化が生じるのだけは
誰でも実践すれば、すぐに確かめられる。

 

この十句経はリズミカルで韻を踏んでいて優れてるし

 

クンバハカ( 丹田 )への深い意識での意識付けと数稽古による練磨ができるという点でもよいと体験上思ってます。

 

クンバハカの数稽古の訓練なんて、クンバハカ自体が簡単すぎるので、こういうのと抱き合わせじゃないと
地味すぎてやれそうもないという私みたいな考え方で心身統一法と併せて
心の銀幕に晴れやかなものが巡り自己陶冶のささやかな弾みにしたいという考えの方にもお勧めと考えています。