大祓祝詞の累積と体験

 

今やゲノム医療やナノマシーンがSFの世界じゃなくなっており
血液中に含まれるマイクロRNA(miRNA)をマーカーとして

 

たった1滴の血液で13種類のがんを95%以上で同時診断が可能な

 

リキッドバイオプシーが実用化目前の時代

 

はたまた

 

100nmサイズの機械装置が体内を駆け巡って効果的に治療を行う・・
なんていうドラッグデリバリーシステムが臨床段階に入ってる・・という時代にもかかわらず

 

 

 

 

 

私の場合「 大祓祝詞 」に注目し実践したわけです。

 

 

 

 

祝詞奏上の累積が何をもたらすのか?という検討も、
ずいぶん前から気にはなってたんですが

 

 

やろうと思った、そもそもの経緯としては

 

 

よくありたい、奥まったとこを善くしたいと思い

 

(かつ)素朴な生活を標榜し当時から心がけてても、

 

それだけでは目まぐるしい黄塵万丈の世の中を渡れない・・

 

 

ものごとを前向き、かつ積極的に考え、諸事に応接したほうがよいのは
ごく当たり前なんですが、その当たり前なことのはずの事が意外に難しい。

 

当時から心の統御に苦慮していたし、

 

 

あこぎで、時に理不尽で、世知辛い人間関係を含めて、

 

あの当時、「なんで、こんな世の中に生まれ合わせたんだろう」。と嘆き

 

世の中を暗い方面からしか見れなくなって

 

もう、どうにも生き辛く、息苦しく感じるというのもあって

 

苦悩に塗れ人生苦に組み敷かれていたわけで

 

 

この素朴な懸案を解くために

 

 

私の場合は、他人を変えることはできないけど
自分が変わるべき・・
自分が出来ることに集中しよう!と取り組んだのですが

 

自分が変わる、自分を変えると言ったって、スローガンは立派だけど難しい。

 

「自分」というのを済度するというのは本当に途方もなく難しい。

 

 

 

心身を分裂、闘争、矛盾させることなく統一することや心構えの積極化

 

 

さらには進化向上のための能力開発を含めて

 

心を強く清く積極化しコントロールしていくことについては

 

 

もう散々っぱら自己投資したんです。

 

あの当時、西欧コンプレックスがあったせいだと思ってますが

 

メインは欧米由来のものを中心に物色し取り組んだのですが
理学的なもの、最先端〇×脳科学なんちゃらプログラム・・

 

いろいろ漁りまくってあれこれやっても

 

自身の内面の矛盾性や逃走( 闘争 )
内面のし烈な争いの統合は
至難の業でことごとく挫折。

 

人は変えれなくても自分の心を清く強く積極に変え、
済度していくことだったら何とかなるだろう・・

 

と軽く考えてたら

 

 

とんでもない

 

心内の矛盾、葛藤を統合するというのは途方もなく難しい。

 

心を使いこなすどころか心に使われる・・

 

呆れるくらい悉く元の木阿弥になってしまう。

 

 

何ら手ごたえも感じず支離滅裂化し駄目だったわけです。

 

 

ですが、ひょんなきっかけで

 

同じ日本人の中村天風先生の口演をそのまま口述筆記した

 

「成功の実現」という一冊の本に公共図書館で出遭ったこと。

 

もちろん、これ( 心身統一法 )だけでは決してないということも強調しておきますが、

 

これが私にとっては、行動変容の一つのターニングポイントになりました。

 

 

 

「ま、まさか、お膝元の日本人が、これほどのものを体系化していたとは!?!?!」。

 

興味本位で寝っ転がって読んでたのが・・

 

やがて真剣に貪り読むようになる・・

 

最後は合掌する・・(´∀`)

 

ヒョウタンから駒と言ったらよいのか、嬉しすぎる誤算と申したらよいのか・・

 

 

まさに灯台下暗しでした。

 

 

 

その後、これを標準テキストにした天風先生の心身統一法のなかの

 

「 観念要素の更改 」等の心の奥底の記憶の浄化と積極的な観念要素への入れ替え行と
他人任せではない自らの意志による自己暗示等を施し
自己の精神強化訓練を節目をつけて特殊なやり方で続けることで

 

 

気弱、ひ弱で神経過敏‥云い知れない不安と煩悶というのから脱け出し

 

 

 

仕事などでも成果を出せるようになる。

 

 

 

 

そうして半年もかからず、今までのことは何だったのか?「????」ってくらい

 

青菜に塩みたいになってたのが

 

 

心が元気に立て直されるという事を現実に経験し
病になっても受け止め方が全然違ってくる。

 

( 性格的にも尖っていたのから )

 

世渡り術と申したらよいのか・・

 

ある意味での、馬鹿正直ではない・・

 

ずる賢さ( 狡猾さ )と申したらよいのか・・も、なんとなく呼吸が解るようになり
強<したた>かさみたいのも培われていく。

 

 

 

 

矛盾と折り合いをつけていく和合力と申したらよいのか
そういうのも以前に比べたら少しずつ培われていった気がします。

 

 

 

そうして、余裕も出来たお陰で、そのプロセスで

 

いろいろなことがあり過ぎて、形而上のことは、ひねくれた眼で見るようになってたのですが

 

若かりし頃の瑞々しい探求心も蘇り

 

 

探求の余裕が出来たということが、そもそも

 

こういったことを研究、研鑽する背景上大きかったと思っています。

 

 

 

余裕が出来たというバックボーンがあるなかで

 

 

日本のものを見直すようになり

 

 

心身統一法の実践と並行して
最初に´大人も出来る能力開発´ということで
七田眞氏のイマージェリーという右脳開発教材を用いて

 

1000コマ記憶訓練に取り組み
1000コマの絵柄のイメージ素材を1から1000まで覚えた後は
主に風呂場で風呂に漬かってるときに1000コマのイメージ素材の名称を
高速で、ぶつぶつ再現し高速暗唱する訓練を3カ月しました。

 

ですが、どうせやるなら由緒正しいものでやりたいと思い

 

次に願掛けみたいのをして

 

( 欧米系の脳科学なんちゃらとか欧米系の・・
あまりに非ホリスティックで複雑で部分特化し過ぎてる心理学的なものから離れて ) 

 

空海が修したとされる、あまりにもシンプルな求聞持法にも取り組み

 

有難い、ありがとうと呟き内言語を浄める感謝行、さらに心経読誦にも取り組んできました。

 

 

そうして心身統一法を現実的な向上や人格練磨のベースにするのは変わらない中で

 

10年以上の間隔が空いて先にも述べたように祝詞にも注目し実践したわけですが

 

 

 

取り組んだのは先の理由以外では´黒住宗忠´という方を知ってしまい研究したのが発端になっています。

 

 

プロセス的には

 

「成功の実現」などの口述書のメソッドの中で
過去の自分(の記憶)をクリーニングしつつ
積極的暗示印象の導入で入れ替えることで振り切り
感情と和解し乗り越えるのに
´最も画期的で役立った行法である潜在意識領のクリーニング行´

 

 

これに強い探求熱が湧き

 

 

 

見える肉体と見えざる心を統合させ本来の生命の勢い
生命生存力を取り戻す、具体的かつ実践メソッドである心身統一法の方法論のなかで
緻密に体系化されてるものの一つのクンバハカや暗示法は、あれほど根が弱っていた私が

 

現実的な向上や人格練磨・・心の積極性の維持のために

 

未だに、研鑽の一つとしてやってるわけですけど

 

 

 

例えば

 

求聞持真言100万遍は50日あるいは100日以内にやり切らなければならない
というのでなければ、根さえあれば、なんとかなる行でして

 

私みたいのでも意志力が煥発でき根が蘇ったことで

 

100万遍の累積を完遂をさせることが出来たけれども

 

これだって潜在意識領のクリーニングに良いから実践しようと発心しても
100万遍を完遂出来ず挫折してしまう方は案外に多いのではないだろうか?

 

もっと簡単でシンプルで易行で日本人に合っていて

 

庶民に届きやすい易行の潜在意識領を清める可能性のある、よい方法はないのか?

 

という問題意識が求聞持真言100万遍積算完遂後に昂じたこともあって
方法を探求していった、そのプロセスで

 

 

この記事を書く10年くらい前にメインサイトにも方法を含めて詳細を書いてるように

 

潜在意識領を清める可能性のあるメソッドして特殊な日拝メソッドを閃きました。
( 以前は公開してたにも関わらず非公開にしていたのは、不特定多数だと私が直に指導できないので
リスク考慮をしたというのがありますが、あまりに要望が多いので公開することにしました )

 

 

求聞持法100万遍念誦の完遂後に追加でやった際の
一つの願いが叶った結果が、これを閃いたことでして

 

私の場合は求聞持真言の累積念誦100万遍で完遂後

 

20万遍を追加することで、やっと閃いたわけです。

 

 

 

その後、なぜ特殊な日拝を続けることが

 

自然に感情心理空間に描かれる連想観念自体を

 

少しずつ晴れやかで綺麗で積極に変えていき

 

サーカディアン・リズムを整え生命にとって良い作用を与えるのか?

 

生活上のエビデンスを探していたら

 

( 日本の歴史に埋もれている方の中で )

 

似たような特殊な日拝を日々なさってた方に´黒住宗忠公´という方がいらしたことを
本で最初に知りました。

 

私の場合、教団組織には興味はないけど

 

キリスト・・空海・・インドの聖者
そういうのを問わず、傾向的に、どうにも聖者とか、そういう人に関心が強い。
( ある意味、中二病じゃないかと、冷ややかに自身を見る目もあるんですが
そういう方を尊敬する氣が抜けないと申したらよいのか・・)

 

 

それで、さらに、この黒住宗忠という御方の生活史を探求していったところ

 

この御方は、江戸時代末期を生きた方で岡山の田舎の神主さんだったのですが
イエス・キリストやインドの大師とされるような方々にも勝るとも劣らない
瀕死の重病人が治癒する等の
世俗一般のコンセンサスを凌駕するような
非日常の奇跡がこの方の周囲で頻発したとされ

 

そういう方が、ほんの2世紀足らず遡った江戸末期に日本に実際にいて

 

多くの人の苦を除いた

 

というのを探求するプロセスで、より詳細に知ってしまったわけです。

 

 

 

 

それで興味が深々と湧いて

 

 

黒住公の事跡を、いろいろ周辺調査していくと

 

公の場合は奇しくも天風先生と同じで肺結核という病に侵され

 

絶体絶命の境涯を潜り抜けて日拝を契機として回復した経験を持っていまして

 

白隠禅師も修行が度を越して肺病になったそうで似てますが
黒住公も天風先生と奇妙な共通点があること

 

 

さらに

 

公の場合は、( そういう奇跡ばかりでなく )翁の積極的な生き方に感化される方も出てきて

 

武士やお百姓さんなどの身分の区別なく

 

この御方と関われたという一点がきっかけになって瀕死の重病が治ること以外にも

 

荒んで、やさぐれた生活から立ち直る方が続出したというのも知りました。

 

 

これは私が最も凄い奇跡の一つと思ってる´平凡な奇跡´としてカテゴライズされるものでして

 

 

こういうのが公の周辺で続出したということで宗忠公の生活史実を追えば追うほどに

 

超ド級にどえらい方だったというのを´知る´に至りました。

 

 

さらには

 

 

当時において不治の病であった肺結核が全快した後のひたむきな悟後の修行時代に

 

公の場合は阿保になる修行をしていた・・というのを聞き知って
私は距離を置いてたんですが(;^_^A

 

 

 

 

いろいろと調査していくと

 

「黒住公は大祓祝詞を1日に千回も奏上なさることがあった」

 

というのも知ってしまいました。

 

それで「黒住公が、そんな、修行までこなしておられたとは・・」

 

と強いショックを受け

 

 

「阿保になる修行というのは私にはさっぱりわからないけれども

 

インドの大師にも匹敵するか、

 

凌ぐような奇跡がこの御方の周りで頻発したとされる

 

あんなど偉い方が、そこまで為さってたのに

 

私みたいな凡夫がノラクラしてちゃアカンでしょ・・」

 

「 ´阿保になる修行´ってのは取り組みのしようがないけれども
こういった行なら私でも出来る範囲で取り組める・・
こういう努力をするプロセスで私のような凡才でも
黒住公が感じ見えている景色や心境の一端でも垣間見れるのではないか? 」

 

と思ったってのが決定的な実行動機になりました。
( ある意味では子供っぽい単純な理由といってもよいかもしれません。
自己批判的で醒めてますけど・・ )

 

 

( ※ただし黒住公の次元までくると流石に超人の域だと私は思ってます。
何故なら1日は1440分ですから1分で大祓祝詞を奏上できたとしても1日で1000回ですと
ご飯も食べずに、ひっきりなしに余念なく奏上したとして約17時間かかります。
これだとさすがに現実的に無理があるので・・
という事は黒住公の場合は大祓祝詞全文を(推定ですけど)
1回あたり20〜30秒程度で速心誦ができてた算段になります。
これでも1000回こなすには6〜8時間程度かかりますけど・・・
公が、これぐらい・・あるいは、これ以上のスピードで奏上できたと考えるほうが、まだ現実的です。
そうなってくると黒住公の場合、どういう心的状態で奏上なさっておられたのか?
想像することすら難しいわけですけど・・ )

 

 

 

2つ目の理由は

 

 

地球という星に生まれてるなら地球規模で見た際に
世界最古の本と言われ世界3200以上の言語に翻訳された本

 

全世界での発行部数は50億部(以上)の本なのだから
「 地球 」という星に生まれた人間として読んだほうがよいだろうという事で
私の場合は、どうも馴染みにくいと思いつつも学生時代からバイブルを読んできた経緯がありまして

 

 

( これも各人各様とは思いますが )あくまで私の場合は、
一般的なキリスト教神学には、あまりよい印象は持ってないものの
神父さんや牧師さんもビックリするかもしれない。

 

 

どこぞの教会に属するわけでもないのにバイブルが台形になるくらい読んでて
未だにバイブル研究もしてるんです。

 

 

また

 

バイブルの中の難解な比喩・・私自身長年研究しても解けずにいたものの解明においても
圧巻な解き明かしをしていた、あるヨギの執筆した書
これをきっかけに、ご縁があって知るに至った

 

インドのヨギの瞑想の、ごく初歩の基本のものとかの瞑想も

 

ずっと続けてるわけです。

 

ちなみに、このインドのヨギの瞑想・・これは本当に科学的です。
こうこう、こういう実践したら段階的に、こうなっていくよ・・という
ヨガナンダ聖者が指摘し、コメントしたとおりのことが
淡々と瞑想を積算していったら

 

実際に事実として自身の心的現象及び生理現象として生じていったので
全入で実践してるわけではないとは言え
私は相当に信頼してまして基本の行法のみですけど未だに続けてます。

 

 

 

 

 

 

なお、宗教のことになると、とてもデリケートになるわけで
この言葉を聞くだけでアレルギー反応を示す方もいると思うので書くのが難しい。

 

 

親しいと思ってた知人同士が、所属する宗派、信仰が違うというだけで
急に疎遠になったり仲が悪くなったりするケースも多々ある。

 

 

 

世の中は、有神論、無神論で未だに喧嘩してるし

 

あんまり神という言葉を出したくないんですが

 

サイト・テーマ上敢えて出しつつ有神論の立場で論じるなら

 

同じ有神論でも神さまという存在に関して

 

有神論を信じる方々のなかでも大きく「理神論」「汎神論」などとカテゴライズされ

 

さらに一神教と多神教などと、これまた分岐していくので、話がややこしくなります。

 

 

 

一神教だって一枚岩ではない・・

 

 

一神教は善悪、懲罰がはっきりしていて縛りが厳しいイメージが強いですが

 

 

例えば

 

 

そもそも、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は
同じ根を持つ神さまを拝める宗教でありながら
解釈の違いと実利的権益争いを背景に何百年も争っているわけです。

 

上記を引用するまでもなく研究すればするほど教義構造からして仲良くなれない。

 

無理があります。

 

一方を強く激しく信じ込んで教義を超えたとこを探求せず
教義に囚われてたら、ある一方の教えに対する信仰が強く真剣な方ほど
真剣であればあるほど他方は´邪教´というレッテルを貼ることになって
近しいが故の近親憎悪と申したらよいのか・・
ケンカの種になってしまうでしょう。皮肉なことに・・

 

結局のとこ、泥棒でも微かに本心・良心という作用があるとされる・・
人類普遍で人それぞれに直短的な力として働く、
本心、良心の実際煥発と強化法までもその実践体系の中に組み込まれている
健康法や修養法どころか宗教も普通に超えてる感がある´心身統一法´

 

このメソッドを熱心に実践する方がどんどん増えて

 

体験で確知し、内面の矛盾を克服、統合する方々が増え、和解をもたらし潤滑油になる・・
このルートでゆっくり和解が為されていく・・

 

( そうなってくると、やはり心身統一法のお膝元の日本人の役割って
国際的に観ても大きいんじゃないか?
日本人って、多くの日本人が卑下的に思って過小評価して自虐的な方が多いけど
精神面から観ても国際的役割は小さいものじゃない気がします・・私的コメントですが・・)

 

 

 

あるいは、

 

( 心身統一法を真剣に実践する方が増えて波及する以上に、
このルート以上に、さらに次元が高く難易度が高く難しいことかもしれませんが )

 

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という同じ根を持つ一神教の神さまを

 

それぞれの信仰をしている´山登り´のプロセスで

 

教義を飛び越え、ぶち破って生身の体験で´知る´という方が増えていかない限り

 

こういう教義的なこと由来のどうにもできない相克や軋轢は、

 

如何ともしがたいものなんじゃないか?

 

「真剣な人ほど教義に囚われていったら構造的に和解は無理・・
そこに実利が絡んでたら、さらに無理」。と、希望を失うこともあるんですが・・

 

 

 

 

 

 

とにもかくにも宗教分野は扱うのが実に困難なデリケートな領域である事は間違いない。

 

 

 

 

 

ですが・・そういうアレルギー反応や軋轢があって踏み込むのが難しかったとしても

 

私自身、バイブル、仏典研究とか含めて抽象化しながら比較研究してたとしても・・

 

 

 

そうはいっても私の場合は、どこをどう見ても

 

´日本´という国に気が付いたら生まれて、日本で教育を受けた日本人。

 

アメリカ人でもないし、イギリス人でもない。
ドイツ人でもないしロシア人でも、イタリア人でもない。
フィリピン人でもないしタイ人でもない。
インド人でもないし韓国人でも中国人でもない。

 

そうなってくると

 

 

祖国( 祖先 )が生み出し育て慈しんできた文化や芸術、学術、自然、伝統
といったものに対して尊敬の気持ちというのを大事にするなら
日本古来の古事記や日本書紀など日本神話に沿った
「 大祓祝詞 」は日本人のルーツに当たるものの一つ

 

 

1400年近く前から全国の神社において奉唱され
歴代天皇陛下の大切な儀式で用いられてきたのが
「大祓詞」であり連綿と受け継がれてきたのは事実で間違いない。

 

なぜか気が付いたら結果的に日本人に生まれていたので

 

 

( そもそも、どこかの団体に所属して、そこの組織が、
こういうのを薦めてるからやってるわけではなく
抽象化させながら個人的に研究してるのですが )

 

日本に生まれた者として、日本人というアイデンティティがあるので

 

その源流を探ってルーツに当たるものを、よく理解し
相対化させながら研究すべきで
日本人の魂の古層、集合無意識を探るのに祝詞は外せないだろうと思ったっていうのもあります。

 

※ただ・・こういった取り組みを国粋主義的と取られたら、私としては少し残念でして・・
とどのつまり自分を思いやり愛せない人は他人も愛せない・・自国の文化や伝統を尊重し愛せない人は
他国の文化や伝統を尊重し愛せないという理屈で考えていただけると有難いです

 

 

 

3つ目の理由はと言いますと・・
弘法大師 空海も大祓祝詞に強い関心を示していたという
´逸話´があるのを知って驚いたからです。

 

 

 

 

キリスト教に代表される一神教と仏教は本質的に全く違って私には見えるし
神道と仏教も違って見えるんですけど

 

空海クラスの偉い方になると・・

 

高天原だろうが大日如来だろうが宇宙霊だろうが、
天にまします我らの父だろうが・・もはや、こだわりもなくなる・・

 

恐らく桁外れに偉くなればなるほど謙虚になって

 

( 山登りのルートが違うから違って見えるだけで )
頂きに近づいて行けば行くほど複眼的な眼で見つつ収斂されて観えるようになっていくからなのかもしれませんけど

 

空海(弘法大師)が祝詞も研究していて大祓詞を吉田家から与えられた巻物も残っていて
空海は、統合、体系化しようとした事跡も残っています。

 

そうなってくると

 

 

空海も尊敬していて難行苦行、荒行ではない緩やかなやり方とはいえ
曲がりなりにも虚空蔵真言100万遍(正確には120万遍の累積)というのを
リスクを背負って4年がかりで実際にやったことがある私にとっては、

 

これはいくら神主さんじゃなくっても

 

日本人の一人として研究対象として外せないだろうと思った・・

 

というのも理由になっています。

 

 

 

 

さらに4つ目の理由としては・・

 

これも私のライフワーク分野に関わってきて

 

 

 

 

ごくごくありふれた発想なんですけど

 

 

良い言葉を使うと気分もいい氣がするというのは

 

生活していて何となく体験してるとこがあるので

 

 

それなら

 

 

大祓祝詞の速暗誦ができて普段の生活で意識できるようになって、

 

思いを馳せる機会と頻度が増えたら決して悪いことにはならないはず

 

敗戦ショックで日本的なものは全否定され´黒住公´なんかも歴史に
埋没されかかってますけど・・(;^_^A

 

インドの大師にも勝るとも劣らない´どえらい方´が為さってたことだから

 

実践することで心の深いとこを洗い意識を高め拡大させることに繋がったり

 

自己陶冶や運を拓く・・幸せに寄与するとしたらめっけものだろう・・

 

という実に安直かつ単純な発想もそこに含まれてます。

 

 

 

 

さらに暗誦という事については

 

世界的にも教育熱心な民族とされるユダヤ人
この民族が形なき見えない智慧を大事にし
無形から有形を生み出す教育の分野に熱心なのは
教育研究家でなくっても知ってることでして

 

幼少からのユダヤの古代経典の暗誦教育というのはつとに有名です。

 

 

尊い内容を慎みの気持ちで意味をかみしめながら
一心に高速暗誦( 高速音読 )し累積させ

 

自我を超えたとこのものに思いを馳せ

 

感情心理空間に去来する連想を言葉を制御する形で少しずつ尊いものに変えて
心の深いとこから明滅し交通する心の幹線道路の想念形態を麗しいものが巡るようにすることが
心および神経系に何をもたらすのか?というのを
自らをサンプルにリスクを背負って研究してるのがあって

 

 

伝統的なものを抽象化し新しいアプローチは出来ないか?

 

 

という好奇心のほうが勝って自己責任で敢行したというのもあります。

 

 

※リスクを背負うというのは時間面も含まれています。
 この方法を選択し採用するという事は、それ以外の選択を捨てて
 多くの時間を割くことになるという意味でのリスクも含んでいますから。

 

最後の理由の5つ目・・これは般若心経と同じ動機ですけど

 

雑念妄念を祓い湧き難く、その一方で清々しくし記憶の場を変え
心象風景を少しずつ明るく朗らかに、生き生きとして勇ましいものに
変えることができる可能性

 

というのも検討課題として誰もができる可能性と
潜在意識の深いとこのクリーニングで流れを変えるもののスクリーニングと
神経反射を調節したクンバハカの数稽古による練磨も兼ねてたこともあったので

 

大祓祝詞も暗唱できるようにして節目を作って記録しながらやっていったわけです。

 

 

 

以上が実践を継続し累積させようと思った5つの理由でして
自己責任でリスク覚悟とはいえ単純に個人的な研究でやってるだけということかもしれないんですけど

 

 

 

 

 

 

実践継続してどうだったか?というのも、

 

こういう分野に関心のある方にとっては

 

知りたい内容ですよね。

 

それ以前に、実践プロセスで、どういうフラストレーションがあったか?

 

というのも

 

 

こういうのに取り組んでいて、ほんのちょっぴり前を走ってる人から教えられたら

 

 

指針が出来て有難いと思う方もいらっしゃるはず

 

ということで、そういう方面のことも述べてみたいと思いますが

 

 

先ずどれくらい実践してるかと言いますと・・私の場合は暗誦して
スキマ時間などを利用して奏上( 心誦 )するのが、なんだかんだの習慣になったのは
2年前くらいでして大祓祝詞の場合は般若心経に比べたら割に最近なんです。

 

 

大祓祝詞の暗誦だって、この方面の信仰がある方なら当然かと思います。

 

ですので、こういうのを真剣にされてる方に比べたら
恐らく私は熱心な方ではないはずでして
自分で言うのもなんですけど、どこか客観的で醒めたところがある人間なもんで

 

なんとなく´数取り´をして記録をし始めて続けるようになったのは2017年末からです。

 

その際、この祝詞の場合は般若心経の3・5倍の900字以上あるので

 

最初から最後まで唱え終わるのに最初は時間が非常にかかってまして

 

1回奏上8分〜10分くらいかかっていました。

 

 

しかし3日に分けて段階的に覚えることで

 

曲がりなりにも大祓祝詞を、たどたどしいながらも暗唱( 黙唱 )出来るようにし

 

 

さらに高速暗誦できるようにしていきました。

 

なお、なぜ?高速化に努めたかと申しますと

 

 

このままでは物足りないなと思ったというのが大きいし

 

先にも言及したように

 

黒住公が悟後の修行として大祓祝詞を1日に1000回も奏上してた

 

というのを知ったこともあって

 

 

いったん手放して

 

 

 

 

実践しながら新しい方法を模索していくうちに

 

 

ふとしたことで以前読んだ右脳関係の本のなかで

 

右脳開発の研究を民間でしている方の一人の七田先生が暗誦に関することで

 

右脳を開く2つの大切なポイントを述べておられて

 

一つは、文章の暗唱をすること。

 

それも普通の暗唱で終わらせず

 

暗唱( 心唱 )する時間を2分の1〜4分の1に短縮すると記憶の質が変わってしまう

 

とコメントしていたのを、そういえばそういうのあったよね・・というので

 

ふと思い出したのもあって

 

やる際は必ず天風式のクンバハカにして、気持ちを正して敬愛の気持ちで
出来るだけ速暗誦、速音読できるように・・
少しでも・・1/10でもいいので黒住公のレベルに近付けるように・・ということで
スキマ時間などを使って記録し、期間の節目作りながら数の積算をやっていったところ

 

 

 

2000回( 2000巻 )を越えた頃には
「あれ??お前さん・・そういえば・・速くなってないか??」という感じで

 

 

気が付いたら70〜80秒くらいになっていたという経験はあります。

 

以下の図のとおりです。

 

 

もっとも、こんなのは大したことではない・・

 

( 不世出の神人と謡われた方と比べるのも畏れ多いけども )

 

黒住公という方に比べたら客観的に観ても

 

 

私の場合は黒住公が、たった1日で為したことがあるという言い伝えのある
大祓祝詞の1000巻奏上を

 

背伸びをしたり必要以上のことは出来なくても

 

「 生活圏において手の届く可能な範囲で出来ることとしてやる 」

 

ということで個人的な研究の一環で1日1000巻なんて

 

能力的にも時間的にも現実的に無理で

 

それどころか1日100巻ですら仕事とかの諸々の諸事情の関係で無理でも

 

奏上できるスピードを速くしていけば
黒住公が悟後の修行で為さってた際の心的境涯( 感情心理空間 )の
ほんのさわりの一端を垣間見ることにつながるのではないか?

 

それに心身統一して1分弱で奏上できれば10回やる場合でも、
1日当たり、たった十数分の時間を使えば済むので

 

スキマ時間を利用するなどして無理なく生活に支障なく
合理的、効率的に祝詞の奏上の累積によって
心の波動の質を高め心の宇宙を清く出来る・・と思い至って

 

黒住公に比べたら1/100の負荷になりますけど

 

自分の精一杯で、できる範囲として、この形式にし

 

1000巻を3カ月程度で当時こなした形になりますので

 

どう身びいきしても自分が出来る現時点の精一杯の能力と生活圏内で
背伸びをしない形で時間を見繕ってやれたに過ぎない。

 

それに・・

 

 

私の場合は、これが出来たからとて右脳開発云々で有名な方々が指摘なさってるような

 

超人的記憶能力などという力は身についてないです。

 

 

 

それでも( 自分で言うのも少し恥ずかしいですが )

 

人間の脳力はすごい・・

 

 

 

 

自身を被験者・・サンプルにするしかなかったという

 

暗中模索の悲しい裏事情があったのですが

 

結論的に脳の適応力ってすごいもんだと思っています。

 

 

年齢とともに衰えていくものも当然あるけども

 

後天的な理に適った訓練で脳を少しずつ馴らしていくことで
衰えを遅らせたり能力も伸びていく領域もある。
伸びた能力は、盗まれたりしない。

 

与え、分かち合う実力も培われる。

 

 

 

心の主人として、自己陶冶し、その性能をよくしようという、やる気と
少しでも余念なく唱えようという気概さえあれば、

 

めったに世に現れないほど優れた方しか出来ない・・

 

無理というようなことではない・・

 

私みたいな、ごくごく一般の凡庸な人間が出来るんだから
幾ばくかの個人差はあっても再現性があるものと考えられます。

 

 

なお、私自身のポリシーと申しますか基本路線として

 

一つにこだわって偏向的に先鋭化させたり、優劣をつけたり

 

他を排斥するというような態度や立場は取りたくない・・

 

多様性は大事。

 

極力優劣はつけたくないしフラットでいたかったので

 

神道の系譜の祝詞以外では仏教の心経や観音経普門品でも

 

言葉を制御することで心に自然に描かれる心の場を行き交うイメージ自体を制御的に
かぐわしく変えて強めることで・・それが何をもたらすのか含めて実践してまして

 

( ちなみに心身統一道の誦句でも
私は天風会員ではないのに幾つかの誦句については高速暗誦と積算の実践をしているんですが・・)

 

 

 

 

心経も少しずつでも早くという心構えで心身統一してやっていったら

 

1000回付近の読経の累積で脳および神経システムが馴れて爆発的に速くなったし

 

延命十句観音経も1000回前後で突沸的に速くなって

 

下腹から出すようなつもりの奏上で丹田への条件付けをすることで
どっしりした気持ちが出てきたのは共通していました。

 

 

大祓祝詞もこれと同様の傾向がみられたのは

 

今から考えれば、当たり前なんですけど一つの面白い発見でした。

 

 

 

こういう尊いフレーズを含んだもので心内を耕すことで

 

 

乱れた氣のバランスを整えて活かす氣が入りやすく

 

心の仮想空間の場を行き交う連想の流れを清めることに繋がり

 

喜びにフォーカスしやすくし

 

心身の神経ネットワークを再構築させ

 

内側の奥まったとこから変えるのに心身統一し1000の練磨というのは

 

何かきっかけを掴むのに秘密があるんじゃないでしょうか?

 

 

普段心の中で使う言葉を積極に変えるだけで運が拓かれた方も多いと聞きます。

 

 

 

 

なお、私の体験から言うなら、これを積算したからって

 

主観的体験として累積させていったことでどうなったか?という感想を述べるなら
ビジネス関係で、大仰なことを達成したとか
宝くじの一等に当たったとか
大病が治ったとか・・
そういう実績があるわけではないです。

 

 

そもそも大した実力があるわけでもない。
私なんかは、ここまでやってこれたのは運だけって気もしてるわけでして

 

 

 

 

 

そもそも、こういうのをやる際も誰か師匠について専門で修したわけじゃないんで

 

この道一筋の方に怒られるかもしれませんが

 

 

何かよくわからんけども、自分自身では取り切れない障りを浄化するのに

 

より高次の存在に依頼する祝詞を奏上することで曇りが祓われ

 

 

さらに、そこに描き出され表現された世界に心を置くことで

 

心内が清々しくなってゾーンに入りやすくなると言ったらいいんでしょうか?

 

そういう感覚を抱くに至っています。

 

 

また

 

以前から出張に行ったら、出張先の近くの神社に
何を願うこともなく挨拶みたいな感じで参拝していたんですが
一層、それが加速したというのがあります。

 

 

 

神韻縹緲とした清新な氣が籠っていて
魂を鼓舞せしめる内容が含まれたフレーズを
リラックスして暗唱(黙唱)し喜びに浸るというのは
それだけで、心を幾ばくか純質にしていき
暗誦した一連の言葉によって紡ぎ出されるストーリーでイメージを制御的に固定化し
心の内側におけるイメージ空間に去来する雑念を祓い少しずつ耕し清々しく、
かぐわしいものに変えて制御された形でリスクが限りなく少ない形で
内界を行き交う想像を綺麗にしてくれる条件を作っていくんじゃないかと・・
(主観的な感想ですが)

 

 

それに・・そもそも論ですが大祓祝詞については
ノーベル文学賞を受賞為さった川端康成翁が少年の頃
意味もわからないのに祝詞を只管読まされたのが
翁の文章に大きな影響を与えていると述べておられる。

 

 

 

やはり文学的に見ても素晴らしいんだと思います。

 

そう言われてみて内容を吟味すると、

 

この祝詞は

 

前段は日本という国土の成り立ち
古代国家の統一の経緯を
神話と絡ませ、どのように為されたかが壮大に描き出されてまして

 

 

後段においては

 

天地自然界において生み出された生きとし生ける無数の生命が
生命として、つながりあいながら、それぞれの役割の中で働き
生命を紡ぎ循環させ流転しながら生成発展に組み込まれる形で清浄化され浄化が為される

 

そういう自然界の生成発展、浄化のシステムと対応した形の

 

精神次元に一段階高めた次元において

 

自らの努力では如何ともしがたい障りを除くのに執り成しを依頼することにより

 

 

「祓」をおこない、通じせしめることで罪穢がどのように消滅されて

 

人々を魂の次元から再新させるか?ということを

 

絵巻物のように動的、壮大に描き出して予言的な内容も含んでいます。

 

 

 

時空を超えて訴えかけてくるような悲哀と澄んだ迫力も感じます。

 

 

この分野の専門家ではないですが、この段階の実践でも

 

よくわかりませんが心内を清々しくする感覚がある。

 

この祝詞の言葉を唱えて繰り返すことで

 

心の曇りを祓って

 

 

合理的かつ制御的に心象空間を

 

清々しくし、上質な喜びを増やし甘美に変えるきっかけが出来、

 

( ダイエットとは別次元で )
体を軽くし気力を再新するのに役立ってる・・
ゾーン状態に入りやすくするのかもしれないという生活実感もあります。

 

 

 

 

で・・これが結論・・〆のコメントになるのですが

 

約3カ月(100日)前は

 

「1分ちょっとで1000文字近くある大祓祝詞全文を
高速暗誦( 高速音読 )なんて絶対無理でしょ・・到底できない・・
それに神主さんでもないのに、やってどないするの・・
●×△◇※( ←30くらいの言い訳 ) 」

 

と当初思って、いろんな葛藤と抵抗があったのですが
少しずつ少しずつ負荷をかけ
節目をつけて繰り返しながら続けることで、どんどん速くなっていき

 

 

「3か月後には、予想を裏切り

 

1分程度で音読的黙唱が出来るようになってる事実を体験する」

 

「絶対無理!」と思っていたのは、あれは何だったのか??

 

 

というコントみたいな・・独りほくそ笑むような可笑しみを自身の内面において体験するのも

 

 

一事が万事で、自信にもつながる。

 

 

 

 

外界の印象だって

 

クンバハカと併せることで眼で見て脳内に描く絵を、心に引っかかりなく映し

 

事柄に動じにくくなり生活も清々しくなる可能性がある。

 

 

黒住公の周囲で起こった奇跡云々は、分析できていませんが

 

日々目に飛び込んでくるショッキングなニュースやTwitterなど
こういったのを見ているだけで心が重く荒んでくることがあるので

 

 

 

大祓祝詞の奏上で心を素に戻すのは有効かもしれません。

 

「素人がやっても、なんかあるぞ・・これは・・」と思うに至っています。

 

 

 

 

それに別に、こういったことの実践は基本、無料です。(;^_^A
お金もかかりませんよね。

 

才能も必要ありません。

 

気持ち次第ですから。(;^_^A

 

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