大祓祝詞の累積と体験

 

今やゲノム医療やナノマシーンがSFの世界じゃなくなっており
血液中に含まれるマイクロRNA(miRNA)をマーカーとして

 

たった1滴の血液で13種類のがんを95%以上で同時診断が可能な

 

リキッドバイオプシーが実用化目前の時代

 

はたまた

 

100nmサイズの機械装置が体内を駆け巡って効果的に治療を行う・・
なんていうドラッグデリバリーシステムが臨床段階に入ってる・・
という時代にもかかわらず

 

 

 

 

 

私の場合「 大祓祝詞 」に注目し実践したわけです。

 

 

 

 

祝詞奏上の累積が何をもたらすのか?という検討も、
ずいぶん前から気にはなってたんですが

 

 

やろうと思った、そもそもの経緯としては

 

 

よくありたい、奥まったとこを浄めて善くしたいと思い

 

(かつ)素朴な生活を標榜し当時から心がけてても、

 

それだけでは目まぐるしい黄塵万丈の世の中を渡れない・・

 

 

いついかなる時も、心の持ちようを尊く清く力強く積極にし
諸事に応接したほうがよいのは、ごく当たり前なんですが、
その当たり前なことのはずの事が意外に難しい。

 

 

 

あの当時、西欧コンプレックスがあったせいだと思ってますが

 

メインは欧米由来のものを中心に物色し取り組んだのですが
理学的なもの、最先端〇×脳科学なんちゃらプログラム・・

 

いろいろ漁りまくってあれこれやっても

 

自身の内面の矛盾性や逃走( 闘争 )や感覚を鎮めることを含め
内面のし烈な争いの統合は
至難の業で、ことごとく支離滅裂化。

 

人は変えれなくても自分の心を清く強く積極に変え、
済度していくことだったら何とかなるだろう・・

 

と軽く考えてたら
とんでもない話でした。

 

心内の矛盾、本能心と理性心の相克や葛藤を鎮め折り合いをつける。

 

そして、仕事やプライベートを含めていついかなる時も心の持ちようを
尊く清く強く積極にするというのは途方もなく難しい。

 

何ら手ごたえも感じず支離滅裂化し煩悶や焦燥感が増すばかりで
言語表現するのが困難なほど、ひどい煩悶状態に陥っていたわけです。

 

 

ですが、ひょんなきっかけで

 

同じ日本人の中村天風先生の口演をそのまま口述筆記した

 

「成功の実現」という一冊の本に公共図書館で出遭ったこと。

 

もちろん、これ( 心身統一法 )だけでは決してない
成功の実現などの口述書では述べられていないことや
習慣統御も含めて、相当な工夫もしたし、
当然、それ以外のことも背景として実践してきている
ということも述べておきますが、

 

これが私にとってはターニングポイント(のひとつ)になりました。

 

 

 

「ま、まさか、お膝元の日本人が、これほどのものを体系化していたとは!?!?!」。

 

興味本位で寝っ転がって読んでたのが・・

 

やがて真剣に貪り読むようになる・・

 

最後は合掌する・・

 

ヒョウタンから駒と言ったらよいのか、嬉しすぎる誤算と申したらよいのか・・

 

 

まさに灯台下暗しでした。

 

 

 

その後、これを標準テキストにし感受性を含めた精神強化訓練を

 

節目をつけて特殊なやり方で実践し習慣統御の工夫を凝らして続けることで

 

 

気弱、ひ弱で神経過敏‥云い知れない不安と煩悶というのから脱け出し

 

今までのことは何だったのか?「????」ってくらい気持ちが強くなり
かつ恬淡としてきて
仕事などでも成果を出せるようになっていった気がします。

 

 

 

そうして、余裕も出来たお陰で、そのプロセスで

 

いろいろなことがあり過ぎて
形而上のことは、ひねくれた眼で見るようになってたのですが

 

若かりし頃の瑞々しい探求心も蘇り

 

 

探求の余裕が出来たということが、そもそも

 

こういったことを研究、研鑽する背景上大きかったと思っています。

 

 

 

余裕が出来たというバックボーンがあるなかで

 

 

日本古来のものを見直すようになり

 

心身統一法を人格練磨のベースにするのは変わらない中で

 

日本人に無難なルート探索というのを標榜し

 

10年以上の間隔が空いて先にも述べたように祝詞にも注目し実践したわけですが

 

 

 

取り組んだのは、日本人にとって安全、無難なルート探索以外では´黒住宗忠´という方を知ってしまい
研究したのが発端になっています。

 

 

プロセス的には

 

「成功の実現」などの口述書のメソッドの中で
意識(自覚)できない潜在意識の汚れのお掃除

 

 

 

これに強い探求熱が湧き

 

裏技といえるような特殊な日拝行を閃き、これを深める探求プロセスで

 

´太陽の神人´と称賛された黒住宗忠という方を知るに至りました。

 

 

( この方の生活史を探求していったところ )

 

この御方は、江戸時代末期を生きた方で

 

簡単に略歴を書くなら

 

公は岡山の田舎の神主さんだったのですが

 

ご両親を、流行り病で立て続けに失ったことがきっかけで

 

もはや伝説になってるような
途方もない親孝行者だった黒住公は、強いショックを受け
気を病み塞ぎ込み体の調子を崩してしまったそうです。

 

 

そうして肺を病み心も塞ぎ込み医者から余命宣告を受けるほど
瀕死に値する肺の重篤な疾患にまで悪化していきました。
( 一説には天風先生と同じく肺結核だったとされています )

 

 

しかし余命宣告を受けたところから覚悟を決め

 

開き直り

 

そこから日拝を日々の習慣にし
心の底からの有難さを胸に満たすということを約3カ月続けることで
公は奇跡ともいえる命の蘇りを果たしてます。

 

 

 

さらに、そこから約半年、日拝を継続していた冬至の朝にも劇的体験があり

 

それ以降から公ご自身に不思議なヒーリング能力が備わって

 

瀕死の重病人が公の媒介によって治癒する等の
世俗一般のコンセンサスを凌駕するような
非日常の奇跡がこの方の周囲で頻発し多くの人の苦を除いた

 

というのを探求するプロセスで、より詳細に知ってしまったわけです。

 

 

 

 

それで興味が深々と湧いて黒住公の事跡を、いろいろ探っていくと

 

 

公の場合は、( そういう奇跡ばかりでなく )

 

黒住公の廉潔で慎ましく楽天的かつ尊く清い積極の生き方に感化される方も出てきて

 

武士やお百姓さんなどの身分の区別なく

 

この御方と関われたという一点がきっかけになって

 

荒んで、やさぐれた粗暴で自棄・・消極の生活から立ち直る方も
ちらほら出てきたというのも知りました。

 

 

これは私が最も凄い奇跡の一つと思っている
´平凡な奇跡´としてカテゴライズされるものでして

 

 

こういうのが公の周辺で続出したということで

 

宗忠公の生活史実を追えば追うほどに超ド級にどえらい方だった
というのを´知る´に至ったわけです。

 

 

 

 

 

それで益々興味が湧いて、いろいろと探査していくと

 

「黒住公は大祓祝詞を1日に千回も奏上なさることがあった」

 

というのも知ってしまいました。

 

 

 

 

 

それで「黒住公が、そんな、修行までこなしておられたとは・・」

 

と強いショックを受け

 

 

「 あんなど偉い方が、そこまで為さってたのに

 

私みたいな凡夫がノラクラしてちゃアカンでしょ・・」

 

「 こういった行なら私でも出来る範囲で取り組める・・
こういう努力をするプロセスで私のような凡才でも
黒住公が感じ見えている景色や心境の一端でも垣間見れるのではないか? 」

 

と思ったってのが決定的な実行動機になりました。
( ある意味では子供っぽい単純な理由といってもよいかもしれません。
自己批判的で醒めてますけど・・ )

 

 

( ※ただし黒住公の次元までくると流石に超人の域だと私は思ってます。
何故なら1日は1440分ですから1分で大祓祝詞を奏上できたとしても1日で1000回ですと
ご飯も食べずに、ひっきりなしに余念なく奏上したとして約17時間かかります。
これだとさすがに現実的に無理があるので・・
という事は黒住公の場合は大祓祝詞全文を(推定ですけど)
1回あたり20〜30秒程度で速心誦ができてた算段になります。
これでも1000回こなすには6〜8時間程度かかりますけど・・・
公が、これぐらい・・あるいは、これ以上のスピードで奏上できたと考えるほうが、まだ現実的です。
そうなってくると黒住公の場合、どういう心的状態で奏上なさっておられたのか?
想像することすら難しいわけですけど・・ )

 

 

 

2つ目の理由は

 

私の場合は、どうも馴染みにくいとは思いつつも

 

何の因果か学生時代からバイブルをよく読んできた経緯があります。

 

なぜならバイブルは´ 世界最古の本 ´と言われ

 

どれくらい古いかと申しますと
日本の古事記ですら8世紀前半に編纂され成立したものなのに
バイブルは古事記から遡ること約1300年・・紀元前5世紀頃から編まれています。
( もちろん古事記も霊感の書というのを否定するつもりはありません。むしろ創世記と古事記比較では初元の記述は古事記のほうが深く、かつ濃密です )
しかし、それを差っ引いても古事記より13世紀も前に、旧約だけでも、これほどのものが編まれていることに驚きを禁じえません。
さらには全世界での発行部数は50億部(以上)の本です。
今後も増え続けることでしょう。

 

 

 


生活を支える見えざる生命生存力に直接働きかけて
その秘めた潜在勢力を高めることのできる心身統一法および天風実践哲学を生活のベースに置くことは
口述書に出会って以降変えていませんが

 

地球という星に生まれた地球人としてバイブルは読んだほうがよいだろう
という考えがありました。当時から
洗礼などは受けようと思ったことはありませんが・・
生活事実として未だにバイブルをよく読み、宗派云々無関係に独学に近い形で研究もし

 

バイブルの比喩のなかで私自身学生時代から長年研究しても解けず悩んでいた某聖句のいくつかを
インドのヨギの執筆した某本が、あっさり解いてくれてたことに感激したこともあり、

某本を読んだことを契機にして
(心身統一法のカテゴリーに入る安定打坐による瞑想以外の)
宇宙霊を知るためのインドのヨギの瞑想も全入ではないけれども、ずっと続けてるんです。

 

 

いまだにバイブルも、カトリック系や共同訳を含めて、いろんな種類のものを購入し読んでいます。
ボロボロになったものや図書館に寄贈したものとか含めて、これで何冊目になるのか??と自分でも呆れるくらい・・

 

たとえば最近評判が良いというので中古ですが買ったのは、
カトリック系ですが以下のフェデリコ・バルバロ訳のドンボスコの聖書とか・・

 


※確かに、とても読みやすくて速読もしやすくテンションが上がりました・・

 

しかし、そういう交差的実践研究は,いまだにしていても

 

私の場合は、どこをどう見ても´日本´という国に
気が付いたら生まれて日本で教育を受けた日本人。

 

アメリカ人でもないし、イギリス人でもない。
ドイツ人でもないしロシア人でも、イタリア人でもない。
フィリピン人でもないしタイ人でもない。
インド人でもないし韓国人でも中国人でもない。

 

そうなってくると

 

 

祖国( 祖先 )が生み出し育て慈しんできた文化や芸術、学術、自然、伝統
といったものに対して尊敬の気持ちというのを大事にするなら
日本古来の古事記や日本書紀など日本神話に沿った
「 大祓祝詞 」は日本人のルーツに当たるものの一つ

 

 

1300年以上前の奈良時代くらいから全国の神社において奉唱され
歴代天皇陛下の大切な儀式で用いられてきたのが
「大祓詞」であり連綿と受け継がれてきたのは事実で間違いない。

 

なぜか気が付いたら結果的に日本人に生まれていて

 

 

日本に生まれた者として´日本人´というアイデンティティがあるので

 

 

日本人の魂の古層、集合無意識を探るのに
その源流を探ってルーツに当たるものを、よく理解し
相対化させながら研究すべきで
その研究( 探求 )対象として祝詞は外せないだろうと思ったっていうのもありました。

 

※ただ・・こういった取り組みを国粋主義的と取られたら、私としては少し残念でして・・
とどのつまり自分を思いやり愛せない人は他人も愛せない・・自国の文化や伝統を尊重し愛せない人は
他国の文化や伝統を尊重し愛せないという理屈で考えていただけると有難いです

 

 

 

3つ目の理由はと言いますと・・
弘法大師 空海も大祓祝詞に強い関心を示していたという
´逸話´があるのを知って驚いたからです。

 

 

 

 

キリスト教に代表される一神教と仏教は本質的に全く違って私には見えるし
神道と仏教も違って見えるんですけど

 

空海みたいな偉い方になると・・

 

高天原だろうが大日如来だろうが宇宙霊だろうが、
天にまします我らの父だろうが・・もはや、こだわりもなくなる・・

 

恐らく桁外れに偉くなればなるほど謙虚になって

 

( 山登りのルートが違うから違って見えるだけで )
頂きに近づいて行けば行くほど複眼的な眼で見つつ収斂されて観えるようになっていくからなのかもしれませんけど

 

空海(弘法大師)が祝詞も研究していて大祓詞を吉田家から与えられた巻物も残っていて
空海は、統合、体系化しようとした事跡も残っています。

 

そうなってくると

 

 

空海も尊敬していて難行苦行、荒行ではない緩やかなやり方とはいえ
曲がりなりにも虚空蔵真言100万遍(正確には120万遍の累積)というのを
無難な方法とは言えリスクを背負って4年以上かけて実際にやったことがある私にとっては、

 

これはいくら神主さんじゃなくっても

 

日本人の一人として研究対象として外せないだろうと思った・・

 

というのも理由になっています。

 

 

 

 

さらに4つ目の理由としては・・

 

これも私のライフワーク分野に関わってきて

 

 

 

 

ごくごくありふれた発想なんですけど

 

 

良い言葉を使うと気分もいい氣がするというのは

 

生活していて何となく体験してるとこがあるので

 

 

それなら

 

 

大祓祝詞の速暗誦ができて普段の生活で清浄なる生活への心がけが意識できるようになって、

 

思いを馳せる機会と頻度が増えたら
少なくとも奏上してるときには
( 嫌でも )大らか、荘厳で清らで明澄な想像が巡るわけだし

 

大祓祝詞の詞の内容自体も

 

( 簡単に要約するなら )

 

謙ったお詫びの気持ちで奏上し
罪穢れを祓っていただくことをお願いし
大きな加護を願うような内容になっていますので

 

当然、謙った有難い気分も出てくる・・

 

 

これを日々の生活で無理ない範囲で取り入れて耕して
呼吸が深くなるのが習いになっていったら、醸し出される波動も嫌でも変わり
併せて内面の潜在意識の領域だって積極的な言霊の積算で少しずつ清められ
嫌でも大らかになって脳の反応システムも変容していくのではないか?
間違っても悪いことにはならないはず

 

敗戦ショックで日本的なものは全否定され
´黒住公´なんかも歴史に埋没されかかってますけど・・

 

あんな巨大な´どえらい方´が為さってたことだから

 

謙った気持ちで実践することで心の深いとこの曇りを祓い清めて
意識を高め拡大させることに繋がったり

 

脳の反応システムを更改し

 

高次元のつながりをいただくことで自己陶冶や運を拓く・・

 

幸せに寄与する可能性があるとしたらめっけものだろう・・

 

という実に安直かつ単純な発想もそこに含まれてます。

 

 

 

 

さらに暗誦という事については

 

世界的にも教育熱心な民族とされるユダヤ人
この民族が形なき見えない智慧を大事にし
無形から有形を生み出す教育の分野に熱心なのは
教育研究家でなくっても知ってることでして

 

幼少からのユダヤの古代経典の暗誦教育というのはつとに有名です。

 

 

 

そういう経緯から高速暗誦に取り組み自己責任で敢行したというのもあります。

 

 

※リスクを背負うというのは時間面も含まれています。
 この方法を選択し採用するという事は、それ以外の選択を捨てて
 多くの時間を割くことになるという意味でのリスクも含んでいますから。

 

最後の理由の5つ目・・これは般若心経と同じ動機ですけど

 

様々な( 不要残留本能由来の )消極衝動を抑え雑念妄念、邪欲邪念を祓い湧き難くできる

 

というのも検討課題として

 

大祓祝詞も暗唱できるようにして節目を作って記録しながらやっていったわけです。

 

 

 

以上が実践を継続し累積させようと思った5つの理由でして
自己責任でリスク覚悟とはいえ単純に個人的な研究でやってるだけ
ということかもしれないんですけど

 

 

 

 

 

 

実践継続してどうだったか?というのも、

 

こういう分野に関心のある方にとっては

 

知りたい内容ですよね。

 

それ以前に、実践プロセスで、どういうフラストレーションがあったか?

 

というのも

 

 

こういうのに取り組んでいる人から教えられたら

 

 

指針が出来て有難いと思う方もいらっしゃるはず

 

ということで、そういう方面のことも述べてみたいと思いますが

 

 

先ずどれくらい実践してるかと言いますと・・私の場合は暗誦して
スキマ時間などを利用して大らかな気分で毎日数回〜10回程度を奏上( 心誦 )するのが、
なんだかんだの習慣になったのは般若心経に比べたら割に最近です。
( 1日10分程度・・時間的負担が少ないので楽な気分で出来るのは我ながら有難いと思っています )

 

大祓祝詞の暗誦だって、この方面の信仰がある方なら当然かと思いますが

 

この方面に全入的、専心的に打ち込んでいるような立場の人間ではない
フラットな立場で実践している私の場合で言えば

 

大祓祝詞を心を耕す詞として敢えて選択し、その全文を暗唱し、なんとなく´数取り´をして記録をし始めて

 

どこがそうということもなく、ぼつぼつと続けるようになったのは
2017年10月くらいからなんです。

 

その際、この祝詞の場合は般若心経の3・5倍の900字以上あるので

 

最初から最後まで唱え終わるのに最初は時間が非常にかかってまして

 

1回奏上8分〜10分くらいかかっていました。

 

 

しかし段階的に覚えることで

 

曲がりなりにも大祓祝詞を、たどたどしいながらも暗唱( 黙唱 )出来るようにし

 

 

さらに超高速で暗誦できるようにしていきました。

 

なお、なぜ?超高速化に努めたかと申しますと

 

 

 

先にも言及したように

 

黒住公が悟後の自らの修行として行じたり
門人で大病を患った方のための祈念の行の一つとして

 

(公は愛深く温かく思いやりが異次元で桁違いと申したらよいのか・・(;^_^A)

 

たった一人の門人の患者のために祝詞を10000回も奏上( 一萬度祓 )しなさったり
症状によっては千度祓をすることで
実際に門人たちが重度のうつや大病から回復するという奇跡が頻発していた

 

というのを知って、びっくら驚いたこともあって

 

 

 

やる際は必ず天風式のクンバハカにして、気持ちを正し謙った敬愛の気持ちで
出来るだけ大らかで朗らかな気分で超速暗誦、超速音読できるように・・

 

少しでも・・1/10でもいいので黒住公のレベルに近付けるように・・ということで
スキマ時間などを使って記録し、期間の節目作りながら数の積算をやっていったところ

 

1000回を越えるか越えないかくらいのとこで爆発的に速くなり

 

2000回( 2000巻 )を越えた頃には
「あれ??ありゃりゃ?!お前さん・・そういえば・・速くなってないか??」という感じで
自分でも自覚が強まって

 

( 実際に測ったところ )70〜80秒くらいになっていたという経験はあります。

 

以下の図のとおりです。

 

 

尤も私の場合は黒住公が、たった1日で為したことがあるという言い伝えのある
大祓祝詞の1000巻奏上を

 

「 生活圏において手の届く可能な範囲で出来ることとしてやる 」

 

ということで個人的な研究の一環で1日1000巻なんて

 

能力的にも時間的にも現実的に無理で

 

それどころか1日100巻ですら仕事とかの諸々の諸事情の関係で無理で

 

黒住公に比べたら1/100の負荷になりますけど

 

自分が楽な気持ちで続けることのできる、手の届く範囲として、この形式にし

 

1000巻を3カ月程度で当時こなして
高速心唱が出来るようになって以降は大きな負担にならない形の
私みたいな立場の人間でも出来る範囲の´1日10分ちょっと程度のタスク´にしたということ。

 

< ちなみに節回しとか知りません。(;^_^A
ひたすら高速化に努めながら下腹に気持ちを込め心を込めて積算させただけです >

 

それを継続させ積算させ背伸びをしない、負担にならない形で時間を見繕って
楽な気分で継続して日々を恬淡化するための精神資材にしているに過ぎない。

 

( むしろ諸般の事情や楽な気持ちでやりたいから時間を制限してるくらいです )

 

 

 

 

その程度の取り組みであっても( 自分で言うのも少し恥ずかしいですが )人間の脳力は結構すごい・・

 

 

 

 

自身を被験者・・サンプルにするしかなかったという

 

暗中模索の裏事情があったのですが

 

結論的に脳の進化的適応力ってすごいもんだと思っています。

 

 

年齢とともに衰えていくものも当然あるけども

 

後天的な理に適った訓練で脳を少しずつ馴らしていくことで
衰えを遅らせたり私のような凡夫でも能力も伸びていく領域もある。
地道に実践した体験だって決して盗まれたりしない。

 

 

心の主人として心を陶冶し清く尊くしたいという大欲や

 

その性能をよくしようという気概さえあれば、

 

黒住公のように何百年に1人というような・・
めったに世に現れないほど徳があり優れた方しか出来ない・・

 

無理というようなことではない・・

 

 

( 尤もこのページを執筆している時点において、このページ<サイト>などに書いている内容以外の
 公開はしない・・やや難しい自己訓練も取り入れライフワーク的に取り組んではいますが )

 

ここに書いていることでしたら

 

こんなマニアックなページを読むような向上心の強い方でしたら猶更
少し大変ですけど、大概の方ができることであり幾ばくかの個人差はあっても再現性があるものと考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

なお、私自身のポリシーと申しますか基本路線として

 

一つにこだわって偏向的に先鋭化させたり、優劣をつけたり

 

他を排斥するというような態度や立場は取りたくない・・

 

心身統一法はベースにするとしても、それでも多様性は大事。

 

可能な限り優劣はつけたくないしフラットでいたかったので

 

神道の系譜の祝詞( 大祓祝詞、天津祝詞、六根清浄大祓など )
正統系譜から外れますが龍神祝詞など

 

日本の祝詞以外では仏教の般若心経や
法華経のなかに位置づけされる観音経普門品
理趣経の百字程度のもの

 

大黒天神経やら、それ以外の短いお経・・あるいは仙道系のお経も暗誦し
回数の積算と心唱速度との関係の再現性の検証も兼ねた実践をしています。

 

( ちなみに心身統一道の誦句でも
私は天風会員ではないのに幾つかの誦句については
高速暗誦と積算の実践もしているんですが・・)

 

 

それでもって実践(実験)結果はと言いますと

 

般若心経はもちろん法華経の観音経普門品、大黒天神経等も
たどたどしいながらも暗誦後、少しずつでも早く(速く)という心構えで心身統一して
高速暗誦黙唱をやっていったら

 

暗唱できるようにしてから

 

1000回を越えるか越えないかくらいの読経回数の累積で

 

脳および神経システムが馴れたのか突沸的に速くなったのは共通していました。

 

 

大祓祝詞もこれと同様の傾向がみられたのは

 

今から考えれば、当たり前なんですけど一つの面白い発見でした。
( 天津祝詞や龍神祝詞、六根清浄大祓などもほぼ同じ結果になりました )

 

 

話が少しそれますが
一般的自己啓発の本等でも、よく書かれてるように
普段心の中で使う言葉( 内界を巡る内語や連想 )をひ弱で、気弱、愚痴や不平不満に塗れたものから
それをキャンセルし恬淡明朗、颯爽溌溂の積極に変える心がけを強く意識し継続出来たら
それがきっかけで少しずつ運が拓かれて現実がよりよく変わっていった方もいらっしゃると聞きます。

 

ですので

 

こういう祝詞(やお経)のような尊いフレーズを含んだものを選んで心内を積極に耕すことで

 

 

乱れた氣のバランスが整えられることで活かす氣が心という容れ物に入りやすくなって

 

導通が良くなり

 

内側の意識されない奥まったとこから変えていくのに

 

心身統一し暗誦後
大らかで恬淡明朗とした気分で眉間を涼しくし
丹田を含めたお腹周りの神経系統を温めながら1000の練磨というのは

 

日々を恬淡化し昇華する際の
微かなきっかけを掴み、佳き変化の流れに乗る一里塚としての
秘密があるのかもしれません。

 

 

 

 

実際に積算させた個人的かつ主観的な感想を述べるなら

 

大祓祝詞などは特に、何かよくわからんけども、
自分自身では取り切れない障り(曇り)を掃うのに

 

より高次の存在に謙った気持ちでお願い申し上げる

 

<取り次ぎの詞>であるようにも感じていて

 

祝詞を奏上することで内界の曇りが祓われ

 

 

さらに、そこに描き出され表現された世界に心を置くことで

 

心内が清々しくなって素になっていくと申したらいいんでしょうか?

 

そういう感覚を抱くに至っています。

 

 

また

 

 

以前から出張に行ったら、出張先の近くの神社に
何を願うこともなく挨拶みたいな感じで参拝していたんですが
一層、それが加速したというのがあります。

 

で・・これが結論・・〆のコメントになるのですが

 

大祓祝詞の奏上にしたって約3カ月(100日)前は

 

「 黒住公の1/5以下の負荷に当たると想定される1分ちょっとで
大祓祝詞を高速暗誦( 高速黙音読 )なんて絶対無理でしょ・・到底できない・・
それにお前は神主さんでもないし、やってどないするの・・阿保じゃない・・
●×△◇※( ←30くらいの言い訳 ) 」

 

と当初思って、いろんな葛藤と抵抗があったのですが

 

心身統一行法の観念要素の更改を含む信念強化暗示で
深いところに強い信念の鋳型( 確信の鋳型 )を
打ち込んで埋め込んで
日々強める行修を施し続けていたのも幸いしたのでしょう。

 

浮かび上がる内面の否定的な念を宥めることができ
否定的な念に巻き込まれ付和同調され挫折することもなく、
少しずつ少しずつ負荷をかけることができ
節目をつけて明るく元気かつ根気よく繰り返しながら
続けることで、どんどん速くなっていき

 

 

「 3か月後には、予想を裏切り

 

1分程度で大祓祝詞の音読的黙唱が出来るようになってる事実を体験する 」

 

「 絶対無理!不可能!ミッション(タスク)インポッシブル!! 」
という想いが浮かんできてたのは、あれは何だったのか??

 

 

というコントみたいな・・プッ・・アハハと独りほくそ笑むような可笑しみを
自身の内面において体験するのも
一事が万事で些細な自信にもつながっていくのかもしれない。

 

 

 

 

外界の印象だって

 

クンバハカと併せて氣海丹田を温めつつ
明朗な気持ちで奏上をすることで
眼で見て脳内に描く絵を、心に引っかかりなく映し

 

事柄に動じにくくなり生活も清々しくなる可能性がある。

 

 

黒住公の周囲で起こった奇跡云々は分析できていませんが

 

日々目に飛び込んでくる(心を暗くし人心を冷やす)ショッキングなニュースやTwitterなど
こういった外界の事件( 脳を発火させ刺激させ心を暗く、かつ辛く元気をなくさせるもの )を見ることで
心を重く悲しませることがあるので

 

素朴な自己訓練として大祓祝詞の奏上は心を素に戻すのに有効かもしれません。

 

「 素人がやっても、なんかある・・・

 

累積させることで外界からの刺激に対する脳神経および腹腔神経系の反応システムを

 

深いとこから変容させ
自身が知らず知らずのうちに醸し出す気( 波動 )を颯爽溌剌、さっぱりとさせ恬淡化するのに貢献できる何かがあるのではないか? 」
と思うに至っています。

 

 

 

 

それに別に、こういったことの実践は基本、無料です。

 

才能も必要ありませんよね。
少し大変ですけど

 

気持ちと幾ばくかの根( 精神精力 )次第ですから。