般若心経の累積と体験

 

AI時代に「 般若心経 」というのも我ながらびっくり驚きでして

 

私自身、ディープ・ラーニングの最新論文とかを

 

たまにつらつら眺めるような人間なんですが・・

 

 

なぜか祝詞般若心経に心惹かれるとこがありまして

 

心経についてはIMEE OOIさんという方の以下の音源に強く惹かれ魂を持ってかれるほど音韻に美を感じたのが覚えたきっかけです。

 

ですが2011年の東日本大震災の前までは、暗誦して取り組むと言いましても

 

時々読誦する程度で´数取り´もしてなかったんですが

 

3.11の震災以降は、心経を毎日読誦するようになって
極力、記録( 数取り )するように努めていきました。

 

なお、読経を重ねる際に、そこに何らかの佳き効験を
期待しなかったわけでは決してありません。

 

 

心経の読経を重ねることで得られる功徳については

 

 

無心を養って心の落ち着きが得られるというのはあるとされています。

 

 

しかし、本当に、それだけなんでしょうか?

 

 

 

 

親和性や人それぞれ個人個人の背景などにより幾ばくかの相性はあるにしろ

 

 

心の落ち着きが得られるという、たった、それだけのために

 

ここまで多くの人々を実践へと駆り立て魅了するのか?という疑問があります。

 

 

 

般若心経だって、そこに何かないと1000年以上の太古から

 

現代にまで引き継がれて参究され実践され続けてないと思うのです。

 

 

実際のところ、ヘヴィな実践をした方の生活史実を追跡すると

 

心の落ち着きが得られる程度では終わらず、

 

なぜかプラセボを超えるような相応の結果が伴っていることも、また事実です。

 

 

 

 

常人では耐えられないような苦難を乗り越え悲願を達成させた歴史あるものとして
その効験も人それぞれで夥しいものがあります。

 

 

 

 

 

歴史的に最も有名なのが三蔵法師の般若心経にまつわるエピソードでしょう。

 

 

 

他にも

 

 

220万遍心経を詠んだとされる塙保己一の逸話

 

近年では鍵田忠三郎翁の逸話なども有名です。

 

 

 

 

なお、なぜ、高速暗誦に努めたか?という理由についても言及したほうがよいと思うので述べてみますが

 

 

般若心経の読経については日本に生まれた日本人なら別に仏教の信仰を持ってなくとも

 

 

私みたいに心身統一法を実践しつつもバイブルをよく読みこなして

 

 

仏教や神道だけでなくバイブル研究を未だにしてる人間でも

 

 

宗派を問わず

 

お経を暗記すると記憶力がよくなるというので取り組んでる方や

 

近年では読経が不眠や認知症予防に効果がある
ということで取り組んでいる方は多いとも聞いています。

 

 

 

 

 

その際に、私の場合は、高速暗誦できるように取り組んで

 

考えなくても口からついて出るようにしていったのですが

 

高速化した最大の理由は、私自身が苦痛を伴う努力が嫌いで

 

継続させやすいように・・かつ、日常生活に溶け込ましたかったからに他なりません。

 

 

高速化してやることで、単位時間あたりの実行効率が改善され
時間短縮になることで生活化が容易になると思ったというのが大きいんです。

 

 

尤も単純に心経の累積というのでしたら毎日修行( 読経 )してる住職さんとかでしたら、
そういう読経の累積とかは少なくとも私よりは当然なさってるでしょうし

 

高速暗誦も、やろうと思えば、恐らく私なんかより、もっと速く心誦できると思っています。

 

 

 

だけども、ここで私が問題視し重要だと思ってるのは、専門の住職さんじゃない・・

 

私たちみたいなごく一般の人でも心経などを仕事や生活に支障のない形で溶け込まし累積出来て
般若心経が目指すところのものに思いを馳せ
怖れをシャットアウトし心の波動の質を高めて、内界の想念( 心的内面空間 )を変え
お釈迦様の悟りの境涯に思いを馳せたり
心経読誦をきっかけに観音菩薩の慈悲心( 天風哲人の定義では霊性心 )に思いを重ね合わせたりして

 

とらわれのない甘く恬淡とした心境になっていくことで
実際の生活の中で、平凡な奇跡としての恩恵を受けれるかどうか?ということなのでして

 

桁外れの実践をし累積をさせることで、世間一般の定説( 常識的固定観念 )を裏切って
プラシーボでは到底説明できない大きな恩恵を受けた方がいる・・というのは

 

 

先に挙げたように実例があります。

 

 

そうなってくると、あとは、いかに生活に織り込んで

 

負担のかかりにくい無理のない形で無難に積算、継続させて
生活になじませながら心の持つエネルギーと質を高め

 

ニュートラルな視点を強めて、こだわりを離れた安心と思いやりに満ちたものに変え

 

実際生活にも波及できるほどの丹念な継続が出来るか?ということになってきます。

 

 

 

その際に暗誦し速く唱えられたほうが累積させる際に
多くの時間を割く必要がなく仕事や生活に支障も出ないし
心にかかる負担も少ない。

 

極論すれば散歩のときの信号待ちの時やスキマ時間にも
意識的に集中して努力感もなく誦すことも出来てしまいますよね・・

 

 

 

日々の生活において心の質を高め連想観念を尊くするという関係上

 

そっちのほうが、都合がよいに決まってる・・ということになります。

 

 

 

そういう理由( メインは努力嫌いと効率性 )から高速化に努めたわけです。

 

 

 

しかし、実際やろうと思ったら

 

心経を暗誦できるようになってたとはいえ266文字(経題を入れたら276文字)を
最初から最後まで唱え終わるのに

 

取り組みの当初は時間が非常にかかってまして3分くらいかかってたんです。

 

 

 

ですけど

 

 

スキマ時間を利用し時間を区切って出来るだけ早く暗唱できるようにと慣らしながら
必ずクンバハカにしてじわじわスピードアップを図って
脳のシステムを慣らし心身に過大なリスクを負わせない形で習慣性を応用し
読誦回数を持続可能な形で少しずつ負荷をかけ喜びに接続させながら累積させていったところ

 

 

 

1000回( 1000巻 )を越える直前か越えたころに
最初から最後まで呼吸を乱さないでリラックスして読むのに

 

あれ?という感じで50秒くらいになり

 

 

 

1万回( 1万巻 )を越えた頃には心誦という超高速の・・
声になるかならないかの囁きスレスレで、しっかり意味をとって
映像的に読むやり方も混ぜたりして25秒くらいになっていました。

 

以下の図のとおりです。

 

 

唱え方は延命十句観音経と少し違いますが1000回付近で爆発的に速くなっているのは
延命十句観音経や大祓祝詞のケースとほぼ同じです。

 

 

※速く唱えるのはコツというほどでもないですが瞑目し眉間を涼しくし
心に般若心経の全体を大まかに絵に描いて
息を吸いながらでも吐きながらでも唱えられる息の調整と
心の目で文字をブロックの塊ごと心の目で見ながら、ささやくような声・・
あるいは心誦に近い状態でリスク回避も考慮し集中し下腹で諳んじるというやり方です。

 

私の場合は、なかなか時間を取れない時もあり、散歩中に誦すことが多いですが

 

最初のうちは可能な限り時間を15分とか20分で区切って、この時間だけは専念するというようなやり方にする。

 

 

 

暗誦に止めず高速で集中して唱えていく感覚は説明するの難しいけど・・

 

 

例えば九九をできるだけ高速で諳んじるとき

 

 

息を吐きながらでも吸いながらでも、どちらでも高速のささやき声で呟いたり
黙唱した際に何ら緊張せずリラックスして諳んじれますよね。
あんな状態に持っていくということです。

 

後は言葉に尊敬を感じ清明さが感じられるというのも大事かもしれない。

 

そうなるに応じて、そこまで多くの時間を割けないので
費やす時間は同じでも読誦回数を少しずつ増やしてるという段階です。

 

 

 

無理をすれば、もっと速くなるかもしれませんが

 

 

( 以前に無理をして、ちょっとアカンなと思った体験もあるので )

 

 

生活になじませてリラックスして実践し持続させるというほうに重点を置いてる関係で

 

 

これくらいがちょうどいいので、少しずつ様子を見ながら落ち着かせています。

 

 

 

以上を踏まえて

 

 

 

 

私の場合は、そこまで欲づくでやってるわけでもないんですが

 

 

超特的な実践をした先達者の成功事例を分析することで

 

心経を累積させると心象空間を去来するものが変わっていき

 

現世利益的なものも含めて恩恵があるはずという前提で

 

 

自分への因果応報ということで将来の自分のために
積み上げるという形の実践をしようと思い立ち

 

 

 

東日本大震災以降しばらくしてから

 

数取りまで、するようになったわけです。

 

あくまで私の場合では・・

 

 

読誦するやり方は1万巻までは試行錯誤を繰り返して
別に他人に聞いてもらうようなものじゃないんで、やり方も、一般に膾炙された正式なものではないでしょう。
誰かに師事したわけでもないですし・・
( って言いますか・・木魚のたたき方も節回しも全く知らず
ただ念誦を積み上げてるだけな実践です・・)

 

全く正式なものから外れてるわけで

 

かなり変わってるのは最後の真言を´サンスクリット語´にする事が多いのも
一般的な読経とかなり違ってるかもしれません。

 

 

で・・

 

2019年7月現在で累積では、やっと3万3千巻くらいでして
3万程度では保己一翁や、小原、鍵田翁等のひたむきな実践を為さった方に対して
私の場合は、もはや比較にすらもならないくらい申し訳ない・・桁外れの実践ではないのですが・・・

 

 

結局、結論としては

 

般若心経を心身統一し黙唱(心唱)を累積することによって

 

仏典にさらに興味がわいてきたし、このやり方ですと
本人の感覚的には苦痛なんて皆無だし努力感は全くありません。

 

しかし般若心経の読誦を通じて心経が目指し願ってることや
お釈迦様が悟ったことについて自分なりに思いを馳せたり
あるいは、そこに表現されてる世界に心を入れる機会を増やすことで
生命用具である心の波動の質が高まって
「具体的な生活にも何かあるんじゃないか?・・なんかあるぞ・・これは・・」と生活体験上思うに至っています。